フネで旅する漢字の海原(うなばら) シリーズ② 海の向こうからやってきたもの

美しい月夜の海 漢字

さんかくすと文がえます

『後漢書』から探る―金印と漢字との出会い(ごかんじょ)

 亀井南冥さんが指摘した『後漢書』―とは、中国後漢朝(ごかんちょう)の時代に書かれた歴史書です。

 

後漢朝…?(ごかんちょう)

 「中国四千年の歴史」という言葉はきいたことがあるかもしれませんが、長い中国の歴史の中で、中国のいわば“王様”の役割を果たしたのは、ずっと同じ一族であったわけではありません。

 さまざまなバックグラウンドを持つ人たちが争いながら、どこからどこまでが自分たちが支配している土地なのか、ということもその都度(つど)争い、決めながら、国を治めてきました。 

 今でこそ「中国」、「中華人民共和国」という名前で呼んでいますが、だれがそのときのトップに立っていたか、で国の名前も変わったのです。

後漢(ごかん)」というのもまさにその当時の中国の呼び名。25~220年の頃のお話です。

 

M先生
M先生

つ、つまり、今から2000年前くらいのはなしですね…(クラクラ)
……
ちなみにですが、私は、趣味も兼ねて読んだ漫画(まんが)から勉強することもありました。最近話題の『キングダム』も中国史ですよね。私自身は『封神演義』も好きで読みました。高校時代、世界史の先生から横山光輝さんの『三国志』(横山光輝さんは、魔法使いサリーちゃんを描いた人でもあります。みなさんはサリーちゃんのことなんて知らないか…)をお借りしたこともあったなあ。
小説もたくさんありますね。
もちろん、中国史に限らず、日本史も日本以外の国の歴史は、文学作品や漫画(まんが)、映画からも、多くのことを学ぶことができます。

 

巻物の書物

 ただし、その後漢書(ごかんじょ)も、後漢(ごかん)時代に書かれたわけではありません。

 後漢(ごかん)の歴史を記した正史(ごかん)、とされていますが、その後、国の名前も変わり、さまざまな王国が争い合っていた南北朝(なんぼくちょう)時代に(そう)という国の人が書き始め…
続きを(しん)という国の人が書き…
最終的に北宋(ほくそう)時代と呼ばれる時代に合体させて『後漢書(ごかんじょ)』とされます。
もう、れっきとした超大作です。

 その、『後漢書(ごかんじょ)』とやらが見たい皆様へ。
もちろん原本ではありませんが、1624~43年に木活字(もっかつじ)印本として発行されたもののデジタル版を見てみることができます。聞いて驚くことなかれ。全120巻です。

  

  

 そして、中国の歴史が気になってしまうみなさんへ
 (後漢(ごかん)は「(かん)」という時代の中にあります)

  

 

M先生
M先生

脱線が長くなりました…汗

 

 亀井南冥さんが指摘した『後漢書(ごかんじょ)』、書かれていたのは85巻の東夷伝(とういでん)という(でん)の中。
 
 東夷伝、つまり、中国の東方に住んでいる諸民族について書かれた伝の中に、

 「建武中元二年、倭奴国、貢を奉じて朝賀す、使人自ら大夫と称す、倭国の極南界なり、光武、印綬を以て賜う」

  と書かれていた、と。

 後漢(ごかん)光武帝(こうぶてい)建武中元(けんぶちゅうげん)二年(57年)に、倭奴国(わのなのくに)からの使いに印綬(いんじゅ)を送った、という意味です。

 

 この倭奴国(わのなのくに)が、日本のことを本当に指しているのか、などなど(なぞ)が多いのも事実。

 ですが、残された史料(ただの資料ではありません、歴史的な資料:史料なのです)を組み合わせながら、注意深く検証してきて、“そのようである”と推定しているということになります。

 

金印(きんいん)に刻まれた文字、これが漢字との出会いであったと言われています。
少なくとも、この時点には「漢字」と出会っていた、ともいえる。

金印を通じた漢字との出会い――、『後漢書』によれば、どうやら57年までさかのぼるらしい。

 

 私たちが今使う日本語の文字との出会いはこの時であった、と長い研究の末、分かったのです。

 そうと解釈することができたのも、文字として残された記録があったからこそ。
なんだかロマンチックです。

  

M先生
M先生

その「漢字との出会いの謎」を解くきっかけとなった金印(きんいん)を実際に見てみたい、という方。
福岡(ふくおか)市博物館収蔵(しゅうぞう)されているそうです。

タイトルとURLをコピーしました