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『後漢書』から探る―金印と漢字との出会い
亀井南冥さんが指摘した『後漢書』―とは、中国後漢朝の時代に書かれた歴史書です。
「中国四千年の歴史」という言葉はきいたことがあるかもしれませんが、長い中国の歴史の中で、中国のいわば“王様”の役割を果たしたのは、ずっと同じ一族であったわけではありません。
さまざまなバックグラウンドを持つ人たちが争いながら、どこからどこまでが自分たちが支配している土地なのか、ということもその都度争い、決めながら、国を治めてきました。
今でこそ「中国」、「中華人民共和国」という名前で呼んでいますが、だれがそのときのトップに立っていたか、で国の名前も変わったのです。
「後漢」というのもまさにその当時の中国の呼び名。25~220年の頃のお話です。


ただし、その後漢書も、後漢時代に書かれたわけではありません。
後漢の歴史を記した正史、とされていますが、その後、国の名前も変わり、さまざまな王国が争い合っていた南北朝時代に宋という国の人が書き始め…
続きを晋という国の人が書き…
最終的に北宋時代と呼ばれる時代に合体させて『後漢書』とされます。
もう、れっきとした超大作です。
その、『後漢書』とやらが見たい皆様へ。
もちろん原本ではありませんが、1624~43年に木活字印本として発行されたもののデジタル版を見てみることができます。聞いて驚くことなかれ。全120巻です。
そして、中国の歴史が気になってしまうみなさんへ
(後漢は「漢」という時代の中にあります)

脱線が長くなりました…汗
亀井南冥さんが指摘した『後漢書』、書かれていたのは85巻の東夷伝という伝の中。
東夷伝、つまり、中国の東方に住んでいる諸民族について書かれた伝の中に、
「建武中元二年、倭奴国、貢を奉じて朝賀す、使人自ら大夫と称す、倭国の極南界なり、光武、印綬を以て賜う」
と書かれていた、と。
後漢の光武帝が建武中元二年(57年)に、倭奴国からの使いに印綬を送った、という意味です。
この倭奴国が、日本のことを本当に指しているのか、などなど謎が多いのも事実。
ですが、残された史料(ただの資料ではありません、歴史的な資料:史料なのです)を組み合わせながら、注意深く検証してきて、“そのようである”と推定しているということになります。
金印に刻まれた文字、これが漢字との出会いであったと言われています。
少なくとも、この時点には「漢字」と出会っていた、ともいえる。
金印を通じた漢字との出会い――、『後漢書』によれば、どうやら57年までさかのぼるらしい。
私たちが今使う日本語の文字との出会いはこの時であった、と長い研究の末、分かったのです。
そうと解釈することができたのも、文字として残された記録があったからこそ。
なんだかロマンチックです。

その「漢字との出会いの謎」を解くきっかけとなった金印を実際に見てみたい、という方。
福岡市博物館に収蔵されているそうです。