H松
こんにちは。H松です。今日は、みなさんに、ワクチンの歴史についてお話します。
新型コロナウイルスワクチンって、なんだろう?
最近のニュースを聞いていると、新型コロナウイルスワクチンという言葉がよく出てきますよね。ワクチンについては、「注射を打って、新型コロナウイルスになりにくくするものなんだよ~」と、学校の先生だったり、皆さんの周りの大人から言われているかもしれません。
ただ、新型コロナウイルスワクチンがどんなものかを説明してほしいと言われると、実はH松を含め、多くの大人が「うむむ…」と思うところでもあります。
そこで、ワクチンの歴史に入る前に、新型コロナウイルスワクチンについての動画を1本ご紹介したいと思います。
H松
新型コロナウイルスワクチンについて、イラストと音声で説明している動画を見つけました。漢字に、ふりがなが付いていないのですが、スライドの文字が字幕の代わりになるかと思います。大人も「へえ~!そうなんだ!」と思える内容ですので、もしよかったら、皆さんの周りの大人と一緒に見てみてくださいね。
なんで「ワクチン」っていう名前になったの?
先ほどの動画で、新型コロナウイルスワクチンがどういったワクチンで、どのようにウイルスと闘うものなのかを見て頂きました。
ただ、そういえば…。ワクチンって、どうして「ワクチン」という名前になったのでしょうか?
白衣博士
やあやあ。久しぶりの登場じゃ!H松よ、元気にしておったか?
H松
あ!白衣博士。お久しぶりです。理科っぽい話になると、やってきますね。
白衣博士
そうじゃ。H松があまりにも、理科が苦手と聞いて、いつも巡回しておるんじゃ。
H松
社会は得意なんですけどね…。さてさて、せっかく白衣博士にお越しいただいたので…。色々とお尋ねしたいんですが。「ワクチン」って、そもそも、何語なんですかね?日本語っぽくはないですよね。
白衣博士
なんとまあ、いきなりの質問じゃ…。しかし、語源(どうしてその言葉がその意味でつかわれるようになったかという説明)を尋ねられると、すぐには思いあたらんなあ…。調べてみるとするか……。ほー!なるほどなあ!
H松
白衣博士
10の「感染症」からよむ世界史という本が手元にあったのでな。その本を読んでみたところ、「ワクチン」という語は、ラテン語でメスの牛を意味する「vacca(ワッカ)」という言葉からきているそうなんじゃ。天然痘という病気のワクチンを作った、エドワード・ジェンナーという人が、自分が開発した方法を「vaccination(ヴァクチネーション)」と名付けたことで、「ワクチン」という言葉になっていったんだそうじゃ。
H松
でも、なんで、ワクチンが牛と関係してるんですか?それに、オスの牛じゃなくて、メスの牛っていうのも気になります。
白衣博士
うむ。その疑問にこたえるためには、天然痘という病気の話と、その病気を防ぐ方法を考えたジェンナーの話をする必要があるのう。H松よ、それぞれ順番に調べてみるのじゃ。そうすると、世界初のワクチンがどんなもので、なぜ牛と関係するものだったかが見えてくるぞい。
H松
えー!!教えてくれないんですか!?でも、ちょっとワクワクしてきたぞお。さっそく、インターネット&図書館で調べてみよう…。
ちょっと寄り道。ラテン語って、なあに?
ラテン語とは、かつてヨーロッパで話されていた言葉です。ローマ帝国という、とても大きな国で主に使われていました。ローマ帝国の広さは、もっとも栄えていたときには、北はイギリスの一部から南はエジプトの一部までと、ヨーロッパのほとんどにわたっていました。
世界史の窓さんのサイトに、ラテン語がつかわれていたローマ帝国の大きさが分かる地図があります。地図のうち緑色の部分がローマ帝国を表しています。
世界史の窓(外部サイトにリンクします)
現在、ラテン語を日常生活で使用している国はありません。しかし、生物学や医学といったような、学問の分野ではいまだに使用されている言葉です。実は、英語との関わりも深い言語だったりもするのですが…。このあたりの説明は、まなキキの英語にお譲りします!
世界初のワクチンって?
世界初のワクチンって、どんなワクチンだったのでしょう?そして、どのように、牛と関係していたのでしょう?白衣博士に宿題を出されたH松、ちょっと調べてみました。
まずは、ジェンナーが研究していた、天然痘という病気についてまとめてみます。
天然痘とは?
造事務所さんの本によると、天然痘とは英語で「smallpox」と言い、「小さな斑点」を意味する病気なのだそうです。日本では、痘瘡とも言われていました。瘡という漢字は、かさぶたという意味をもっています。天然痘にかかると、40度近い高熱が出ます。そして、熱が出てから数日後、皮膚にぶつぶつとした水ぶくれのような斑点がいくつも現れます。熱が引いて、皮膚の腫れがなくなった後、斑点のぶつぶつとした模様が、かさぶたのようになって剥がれ落ちていきます。天然痘が治っても、かさぶたになった部分が、他の皮膚の色と比べて薄く残ってしまうそうです。天然痘にかかった跡のことを、昔の人たちは「あばた」と呼んでいました。
白衣博士
あばた、という言葉を聞いて思い浮かべるのは、「あばたもえくぼ」という言葉じゃな。大好きな人に対しては、悪いところも良いところにみえてくるという意味じゃ。
H松
言葉になっているほど、よく見られる病気だったってことなんでしょうかね。
天然痘が社会にもたらした影響
天然痘は、長い間、私たちの社会に影響をあたえてきました。
造事務所さんの本によると、天然痘と思われる最古の記録は、今から約3000年以上前のインドの文献に確認できるそうです。そして、天然痘にかかって死んだ人間のうち、名前がはっきりと分かっている人物は、ラムセス5世なのだそうです。
ラムセス5世のミイラをみてみよう!
それにしても、ラムセス5世が天然痘にかかっていたことが、なぜ分かったのでしょうか?「タイムマシンをつかって昔のエジプトに行って、ラムセス5世に聞いてみたから…」なんてことはありません。ラムセス5世のミイラの顔に、天然痘にかかった証拠である、「あばた」がみられたからです。
ラムセス5世という人は、古代エジプト第20王朝の王様でした。当時のエジプトでは、人が死んだあとに復活するためには、自分の肉体が現実の世界に残っていることが大切だと信じられていました。医療の歴史のサイトによると、ラムセス5世は王様だったことから、お金と手間をたくさんかけて、丁寧にミイラにされたそうです。そのため、発見されたときに、顔のあばたやシミが分かるほど、生きていたころの顔に近いミイラになれたのだそうです。下記のサイトの2つめの写真が、ラムセス5世のミイラです。よくみると、頬のあたりに、ブツブツとしたデコボコがあります。サイトには、ふりがなはありませんが、写真だけでも見てみてくださいね。
医療の歴史-感染症13(外部サイトにリンクします)
天然痘は、エジプトにとどまらず、古代ギリシアにも影響をあたえたと言われています。アテナイ、という都市(現在のギリシャ共和国の首都、アテネにあたります)では、リーダーのペリクレスを含め、人口のほぼ3分の1が天然痘にかかって死んでしまったのだそうです。天然痘が流行する前のアテナイは、とても栄えていた都市でした。しかし、リーダーが死んでしまったこと、そして急に人口が減ってしまったことが原因で他の都市との戦争(ペロポネソス戦争と言います)に負けてしまいます。その結果、アテナイは勢いを失い、他の都市がギリシアで大きな力をつけていくことになったのです。
ちょっと寄り道。民主主義のもとになった、アテナイ(アテネ)について知る
アテナイは、世界で初めて、民主主義という政治の形が生まれた場所だと言われています。法律を作るとき、アテナイの市民が投票を行って、自分たちの住む国(ポリスと言います)をどのようにするかを決めていました。どのような仕組みで民主主義が生まれていったのかについては、NHK高校講座の動画にまとまっています。字幕もありますし、6分半くらいの短い動画ですので、小学生・中学生の皆さんも、ちょっとだけチャレンジして、見てみてくださいね。
動画でも少しだけ紹介されていますが、アテナイで最も長い間、政治を行っていた人物こそが、天然痘にかかって死んでしまったペリクレスだったのです。多くの人たちから期待され、支持されていたリーダーが死んでしまったことは、アテナイの政治をゆるがす大事件だったのでしょう。天然痘という病気が、民主主義に危機をもらたしたとも、言えるかもしれませんね。
造事務所さんの本によると、その後の時代にも、天然痘の流行が国のあり方に影響を及ぼした例が見られるそうです。例えば、ローマ帝国(現在のイタリア共和国の首都、ローマを中心とした大きな国)では、天然痘が2回も大流行しました。元々、ローマ帝国にはその土地の神様をあがめる文化があったそうです。しかし、「これだけお祈りをしてきたのに、1回のみならず、2回も流行するとは!!」と失望した市民たちが、当時の新しい宗教(キリスト教)への乗り換えをしていったようです。造事務所さんは、天然痘の2度の流行によって、ローマ帝国において元々の宗教に関わっていた人たち(神官)の権威が失われ、キリスト教の影響力が強まったとまとめています。
日本社会にも影響が。
ここまで、日本以外の話をしてきました。天然痘は、日本には関係のない病気だったのでしょうか?答えは、いいえです。残念ながら、天然痘は日本でも社会に大きな影響を与えていました。
日本は、周りを海に囲まれている島国です。しかし、海外の国と貿易をするようになると、人や物と一緒に、天然痘ウイルスも海を渡って日本へやってくることになります。
冨田・木村さんの論文によると、続日本紀(日本の歴史をまとめた歴史書の1つ)に天然痘の記録が残されており、735年に新羅国(現在の大韓民国の南東部にあった国)から天然痘が福岡に入り、大流行して奈良県まで感染が広がったことが記されているそうです。
ちょっと寄り道。古事記・日本書紀ってなあに?
続日本紀は、古事記や日本書紀の後に記された歴史書です。これらの歴史書には、どんな関係性があるのでしょうか?気になった方は、是非、下の動画を見てみてくださいね。
*残念ながら、動画に字幕はありません。1分半の動画なので、飽きずに見ることができますよ!
H松
当時の日本を治めていた聖武天皇は、天然痘の流行に苦しみ、国分寺・国分尼寺・大仏の建立を行うことを決めました。1分30秒の短い動画ですが、NHKさんが紹介しています。よかったら、見てみてくださいね。
*残念ながら、動画に字幕はありません。
白衣博士
津田塾大学の近くにも、「国分寺」という地名があるのう。聖武天皇が全国に建てた国分寺が名前の由来なんじゃ。みんなが住んでいる町の近くにも、国分寺という地名があるかもしれないのう。
H松
武蔵国分寺ですね。聖武天皇が建てたお寺そのものは、もう残っていないのですが…。地名として、今も残っているというのは、ロマンですねえ。
ここまで、天然痘が社会にもたらしてきた影響を、世界と日本の両方で、確認してきました。天然痘は、長年私たち人間を苦しめ、国のあり方にまで影響を与えてきた病気だったと言えます。そして、治す方法も分からず、感染する原因もはっきりと分からなかった時代、人が頼りにしてきた方法は、神にお願いをすることだったと言うこともできます。
「種痘」の開発
それでは、エドワード・ジェンナーは、どのようにして天然痘を予防する方法を作り上げたのでしょうか。
エドワード・ジェンナーが開発した、「種痘」について知ろう!
日本製薬工業協会さんのページに、エドワード・ジェンナーの紹介と、彼が作り上げた種痘という方法についての説明があります。下記、くすり偉人伝をクリックして、確認してみましょう。
*ふりがなが、漢字のすぐあとに()の表記で提供されているサイトのため、スクリーンリーダだと読み上げにくいかもしれません。
くすり偉人伝(外部サイト:日本製薬工業協会にリンクします)
H松
ジェンナーのおかげで、天然痘にかからないようにワクチンを接種するという取り組みが世界的にすすんでいったのですね。
白衣博士
うむ。それにしても、牛を飼っている人の会話をヒントに、「天然痘ウイルスに対抗できる免疫をつくれるのでは?」と考えついたとは、驚きじゃ。科学は、身近なことや、偶然のことがきっかけで進歩していくんじゃのう。
H松
牛がかかる天然痘のほうが、人間に流行している天然痘よりも毒が弱いということにも着目していたこともすごいなあと思います。
あ!そういえば!!ワクチンという言葉が、どうしてメスの牛と関係あるのかという答え、こういうことだったんですね(笑)
白衣博士
そうじゃ!メスの牛から乳しぼりをしていた人で、牛痘(牛の天然痘)にかかったことのある人の腕から取り出した膿を、他の人に接種するという方法だったから、ジェンナーはメスの牛を意味するラテン語を名付けたのじゃ。
H松
面白いですね。ちょっと面倒だなあと思ったけれど、調べてみるもんですねえ。
白衣博士
ジェンナーの発見から184年後となる、1980年に世界保健機関(WHO)が天然痘の世界根絶宣言を行ったのじゃ。ワクチンによる予防法ができてからも、世界のすべての国で、天然痘にかからないようにするためには、184年もの時間がかかったんじゃなあ。
H松
天然痘をなくすまでに、けっこうかかるものなんだなあ、と思ったんですが。そういえば、さっきまで調べていた資料の中に、「ジェンナーが種痘法を発見したのは1796年だったけれども、当時の日本は鎖国(限られた国とだけ交流する政策)をしていたために、やり方が伝わったのは1849年のことだった」と整理されていましたわ…。接種する方法や仕組みが世界的に整うまでには、時間がかかるのですね。天然痘をなくすまでには、防ぐ方法を見つけた人、伝えた人、みんながその方法をとれるように仕組みを整えた人…多くの人の頑張りがあったと考えると、なんだか感慨深いですね。
余談ですが…。種痘がキーワードになっている漫画作品があります。
H松の趣味で恐縮ですが、実は、手塚治虫の作品の中に、種痘がキーワードになっている作品があります。もしよかったら、近くの図書館や本屋さんで探してみてくださいね。
陽だまりの樹(外部サイト:手塚治虫公式サイトにリンクします)
参考文献
平井美津子, 2013, 「学術用語におけるラテン語の影響についての研究」『長崎国際大学論叢』 13, 1-9.
(一社)保健医療リテラシー推進社中,2020, 「ころナビ」(2021年3月8日取得, https://covnavi.jp/327/).
酒井健司, 2019,「天然痘は人類が撲滅できた唯一の感染症 では次は?」, 朝日新聞アピタル.
富田英壽・木村專太郎, 2014, 「予防接種の日本の始まりは「福岡の秋月」にあり」『日本医史学雑誌』60 (2) .
造事務所編, 2020, 「10の『感染症』からよむ世界史」脇村考平監修, 日経BP日本経済新聞出版本部.