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今日のおはなしは、「みち」に関すること…。
わたくし、「ぱんこ」とU子さん、H松さん、M先生と一緒に進めていきたいと思います!
「みち」…といえば、みなさん、どんな漢字を連想しますか??
実はいろいろな漢字があるのですが(ぜひ探してみてね!)、タイトルにもある「道」という漢字には、
- 「頭を向けて進んでいくみち」
- 「ある方向にのぼるみち」
- 「人の行うべきみち」
という意味があるんだそうです…!
それも、「道」という漢字を構成するパーツに由来しているのです!
「道」という漢字は、みちの意味を持つ「しんにょう」と呼ばれる部首と、「首(くび)」という漢字で成り立っています。この「首」という漢字は、体から飛び出ている部分なので、「抜け出る」「ある方向へ向かって延びる」というニュアンスが込められているのです。
なので、「道」という漢字は、ただの「みち」というだけでなく、「ある方向へのびて通り抜けていく」、はたまた「ある方向へ向けて導いていく」というニュアンスを持つ漢字なのです…!
古代の道ってどうなっているのでしょう?大きくて広いのかな…。ゴツゴツした細い道だったのかも…。
こんな感じの道かな…?
日本の古代の道を調べてみた
早速、古代の道がどうなっていたか、調べてみました。どうやら道は、それぞれの時代の国の政治ととても深く関わっているみたいです!
なるほど!道と政治の関係、とっても面白そう!
奈良時代の政治体制〜律令制〜
日本に大きな道ができ始めたのは、奈良時代の頃でした。そして、日本が一つにまとまり、「国」の形が作られ始めたのも、奈良時代のようです!この時代の国の支配のあり方、「律令制」について知れば、何か分かるかもしれない…。
律令制とは、「律」と「令」と言う法に基づいて国を支配することです。「律」は概ね刑事的な問題を取り扱い、「令」は行政法や商法・民法的な問題を取り扱っていました。これらによって、国や役人・各人民に関して様々な内容が細やかに定められていました。この制度は大化の改新以降に日本では始まったと推定さていて、主に奈良時代に一番盛んになった統治のあり方です。
うーん、説明が少し難しいな。そうだ、まなナビのみんなで律令制をわかりやすく説明してみよう。例えば、みんなで「まなキキ王国」を作るとしたら…
まなキキ王国のお城!
まなキキ王国の誕生!?
まなキキ王国…王様は、もちろん白衣博士!白衣王様を中心に、国がまとまっていくみたい。
ほっほっほっ。白衣王様じゃ。まなキキ王国をしっかり治めるぞ!まずはルールを決めよう。まずは、みんなが悪いことをしないように、悪いことをした人に罰を与えることにしよう。お城の壁を食べた人は腹筋100回じゃ。
白衣王様、早速刑罰についてのルールを作りましたね。
律令制とは、「律」と「令」という法に基づいて国を支配することです。「律」は「お城の壁を食べた人は腹筋100回」のようなルールを定めています。つまり、刑事的な問題を取り扱っていました。
そうじゃな、次は王国の人々に役割を与えるというルールを作るぞ。砂糖大臣に、コック長に、パティシエ係に、和菓子職人…と。あと小麦粉大臣も必要だな。
お、次は役人のルールができました。ところで、もしかして、こんなルールができるって、まさか…。まなキキ王国はお菓子の国なんですか?!
一方で「令」は「砂糖大臣や小麦大臣、パティシエ長などの役職を作る」のような法律のことです。国や役人・各人民に関して様々な内容が細やかに定められていました。
他にも、行政法や商法・民法も取り扱っていました。これらの律令制は、600年代後半に日本で始まったと考えられていて、主に奈良時代に一番盛んになった統治のあり方です。
よーし!砂糖大臣に任命されたぞ!早速、まなキキ王国のみんなから砂糖をいっぱい集めて、立派なお菓子の橋を作ろう。でも、砂糖を王国の端っこに住んでいるみんなから集めるのは大変そうだな。どうしよう。
M砂糖大臣、王国に砂糖を運びやすい道を作って、その道で砂糖を運んだらどうでしょうか。小麦も運べますし、とっても便利だと思います!
ほほほ!いいアイデアじゃ!王国はまだまだ角砂糖のゴツゴツした甘い土地しかないからのう。チョコレートでしっかり舗装した、立派な道を作れば、王国のみんなもわしのことを素敵な王様だと思うに違いない。早速作るぞい!
まなキキ王国、国民から砂糖を集めはじめましたね。税金のようなシステムでしょうか。そして、ついに道も作っています!道を作れば税金をスムーズに集められて、王様の評判もよくなる、これは一石二鳥の策かも。それにしても、チョコレートの道はとっても美味しそう…。まなキキ王国を例に、律令制を確認してみよう!
この統治方法の頂点にいるのは天皇です。まなキキ王国では、白衣王様でしたね。この律令制により、法律によってあらゆる物事が定められるようになりました。
そして、白衣王様とM砂糖大臣、S小麦大臣が王国の重要なことを決めていたように、当時は天皇と、天皇を中心とする貴族たちが国家の重要な決定を行なっていました。そして、天皇と貴族がいた朝廷(白衣王様たちがいたお城のような場所)に、あらゆる権力が集まり始めたのです。
さらに「律」や「令」によって、砂糖を国に納める、のような税金の仕組みや、国の土地の配分、貴族や役職ごとによる振る舞い方が決められていきました。こうすることで、天皇を中心とした一つにまとまった国を作ろうとしていたのです。これを、歴史の用語では「中央集権国家の形成」といいます。
律令制、少しわかった気がします!まなキキ王国でお菓子をたくさん食べたいなぁ…
壁を食べないように、気をつけてね!
まなキキ王国では様々なルールが定められ、道ができましたね。律令制の下でも、道ができたのでしょうか。
七道駅路
飛鳥時代から奈良時代にかけて、律令制度が始まり、国の権力が天皇やその周りの貴族たちに集まっていったことがわかりました。次に、この時代の道について見てみよう!
この時代は、七道駅路という道が発達したようです。
長く続く道だな…。わかりやすくするために、七道駅路を白地図に書いてみよう!
七道駅路は、律令制度の下で中央と地方諸国を結んだ7本の幹線道路(主要な道)のことです。東海道・東山道・北陸道・山陰道・山陽道・南海道・西海道を指します。整備された時代はおおよそ668年から686年、天智天皇と天武天皇の時代でした。
地図をよく見ると、全ての道が今の京都府の場所に集まっています。京都には朝廷があり、さらに天皇がいたと考えると、さっきの中央集権国家の形成と何か関係がありそう!
駅路の公式な使われ方は主に四つです。
一、何かあった時の迅速な情報伝達
二、軍隊の移動
三、公用の役人の移動
四、税制度である租庸調によって納められる物資の輸送
まなキキ王国と似ていますね!まなキキ王国も、税である砂糖をうまく運ぶために道を整備していました。そしてその道は、情報や軍隊といった、他の輸送、移動にも活用できたはずです。
七道駅路の道の広さは、最初は12メートルもありました。その後9メートル、6メートルと狭くなっていますが、いずれにしてもとても広いといえます。
なぜここまで広かったのかというと、国内外に朝廷の力を誇示する権力の象徴とするためでした。他には、情勢が不安定だった時代に一刻も早く伝令を行き渡らせたり、軍隊を移動させたりするためだったとも言われています。
古代の道は広かったんだ!
権力を誇示する、という点もまなキキ王国と一緒みたい。白衣王様はチョコレートの道を作ることで、国民から人気を得ようと考えていました。
七道駅路全ての道が中央の京都に繋がっているということ、さらに道の目的が権力の誇示のため、そして国の制度や治安を安定させるためだった、ということがわかってきました。
つまり、道には律令制を円滑にすすめるという側面もあるということか。広い道って、その国のトップが力を示し、国をうまく支配していくために作ったのが始まりなのかも!
五畿七道
七道駅路の後に発達した道があったようです。調べてみましょう!
おお!ずばり、五畿七道ですね!
あれ?あそこにいるのは…白衣王様!?
ふぉっふぉっふぉっ。そろそろまなキキ王国も発展してきたようじゃ。さらにしっかりとチョコレート街道を整備ずるぞい!
言い忘れておった。チョコレート街道は、重要な大きい市町村をつなげるように整備するのじゃよ!
突然白衣王様がきてびっくりした…。
それはともかく、H松さん!私、今回も地図を描いてきましたよ!まずは、五畿七道の「七道」が意味する、7つの大きな道を地図に入れてみました。こちらです。
なるほど、先程の七道駅路と大差ないですね。
七道駅路を元に、段々としっかりとした道路整備がなされていった、ということでしょうか。
日本において初めて全国的な道路整備がされたのは、五畿七道の時です。五畿七道のうちの「七道」は、当時の日本列島を通る主要な道のことを指しています。
これら七道は都を中心に各地方の国府を結んでいて、中央集権的な放射状の交通網を形成していました。これは七道駅路を元に形成されたと考えられています。
国府とは、簡単にいうと、朝廷の代わりに地方で政治のリーダーとなる場所のことです。
七道は国府を結んでいたのか…。まなキキ王国も、重要な市町村を繋いだ街道を作っていましたね!
あれ?あそこにいるのはS小麦大臣?
なんだか困っているようです。
王様!端から端まで、しっかりと町々を繋いだチョコレート街道が整備されました!
しかし、遠くの町までなかなか目が届きません…。一番遠くの町、ストロベリーミラクルタピオカ町だと、ここから歩いて7日以上かかります。小麦の回収ができていないので、小麦を出すように注意したいのですが、遠すぎまして…。
私も!砂糖の回収もできていないの!
そうだ、ストロベリーミラクルタピオカ町の近くで、税金とか法律とか、私たちの代わりにやってくれる人を置いたらどう?隣町のチーズケーキ村と、マカロン市のことも管理してもらいましょう!
ふぉっふぉっふぉっ。それはよいアイデアじゃ!そうじゃ、タピオカなんとか町のあたりの市町村をまとめて、
「タピオカマカロンチーズケーキ州」
と名付けようぞ。
これって、「行政区画」ですね!
遠くの街を支配するのが難しいから、タピオカマカロンチーズケーキ州のように、国をいくつかの地域に分けて、支配をやりやすくしています。政治を行う地域わけ、まさに行政区画です。
これって五畿七道にそっくりじゃないですか!五畿七道では、朝廷があったあたりを畿内とし、それ以外の地域を7つの行政区画に分けています。
その畿内と7つの区画がどうなっていたのか、行政区画としての五畿七道を地図に色分けしてみましたよ!
まずは七道と畿内の地図です。
さらに、畿内の中身の五つの国の地図です!
先程の地図の、「畿内」の部分を大きくしています。
畿内の中に五つ国があるってことだね!だから五畿っていうのね。
古代の律令時代、日本はこのように五畿七道という行政区画に分けられていました。
五畿=大和・山城・摂津・河内・和泉の畿内五国のこと
七道=東海道・東山道・北陸道・山陰道・山陽道・南海道・西海道という7つの区画のこと
そうじゃ、Hミルク副大臣に、タピオカマカロンチーズケーキ州の長を務めてもらうことにしよう。そしてHミルク副大臣には、実際にその州の重要な町、マカロン市に行ってもらって、そこで仕事をしてもらうぞ。これでよりスムーズな政治ができるに違いない!
Hミルク副大臣、単身赴任が決定してしまいましたね…。
五畿七道でも、先程出てきた国府に、「国司」という朝廷から派遣された役人を配置しました。マカロン市に、Hミルク副大臣が王様から派遣される、という感じですね。
国司が地方政治のリーダーとなったのです。
大変じゃ!大変じゃ!駅伝制を作らないと国が乗っ取られるぞい!早く駅伝制を作るのじゃ!
Hミルク副大臣が、自分の国のようにタピオカマカロンチーズケーキ州で勝手なことをし始めたぞ!このままではタピオカマカロンチーズケーキ州が…わしのものでなくなってしまう…。
白衣王様、駅伝制ってなんですか?電車を作るんですか?わが国にはまだそのような技術とお金は全くございません。唯一、馬のように早く走れる生き物「ホイップホース」はそこら中にいますが。
違うのじゃ!もちろん電車など作れんわい。
駅伝制とはな、まずチョコレート街道に沿って、人とホイップホースと荷物が乗せられる台車を用意するのじゃ。そして、ホイップホースに乗った人が、「駅」という休憩地点まで台車を運ぶじゃろ。その台車を「駅」で待っていた次のホイップホースと人に繋ぐのじゃ。これを繰り返せば、より早く正確にHミルク副大臣に「国を乗っ取るな!」と連絡をしたり、Hミルク副大臣が悪いことを企てていないかという情報をわしに伝えさせたりできる。
なるほど!これでHミルク副大臣の裏切りを防げますし、裏切られたとしてもすぐさま軍を派遣できますね!
Hミルク副大臣…。
五畿七道でも、この駅伝制が発達しています。ホイップホースではなく、普通の馬ですけれどね。地方にいる国司がHミルク副大臣のように、身勝手なことをしないようにする措置の一つだったようです。
他にも、単純に物を運びやすくしたり、情報を伝えたりするのに便利だったようです。
五畿七道では、駅伝制という交通手段が発達しました。駅伝制では、道路に沿って人・馬・車を常備した駅を置き、駅をつたって人々が往来していました。この駅伝制が整備された七道を利用して、全国に連絡をよこしていました。
駅伝制の駅伝って、元旦にある「箱根駅伝」の駅伝と同じでしょうか?
駅伝競走の由来として、駅伝制が挙げられるみたいです。昔はタスキではなく、荷物や手紙などを繋いで運んでいたのですね。
余談なのですが、東海道の読み方は今と昔では違っています。『古事記』や『日本書紀』では「うみつみち」と、さらに平安時代になると「うめつみち」と読まれていたそうです。なんだか素敵な響きですよね。
まとめ
ここまで、古代の道について色々と調べましたね。一旦整理してみましょう。
まず、古代の重要な道として七道駅路があります。背景には、律令制によって国がまとまり、中央集権国家が形成されていたことがありました。そして、七道駅路をベースに形成された五畿七道をへて、本格的に道が全国へと広がっていたことがわかります。
加えて、「道」という字は道路という意味と行政区画という意味があるとのこと。七道駅路と五畿七道の考察から、古代では、律令制度を機に中央集権を目指した国の権力強化戦略の一部として、道が発達していったのではないでしょうか。そのため古代の道は、都を中心に全国に広がっていて、道の幅が広く、道と行政区画が関連しているという特徴があるのかも。
ほほほ!その逆も言えるのじゃ。チョコレート街道ができたことで、もの・人・情報が地方とお城を行ったり来たりするようになった。さらに道という素晴らしいものによって人々の心も城を向くようになったのじゃ。つまり、道ができたことで、より地方の市町村を支配しやすくなり、国が一つになっていったとも言えるのじゃ。まなキキ王国もこれから!皆のもの、頑張りたまえ!
白衣王様!まだいらっしゃったのですね…。
道は、国が支配を広げるために作ったということ、そして同時に、道ができたことで国の支配も広がっていったということ、がわかりました。
古代はこのような結果になったけれど、次の時代はどうなんだろう?