歌舞伎の舞台の「お約束」
H松
物語の「あるある」パターンを教えていただいて、なんだか早く歌舞伎を観たくなってきました。でも、実は、舞台を観ていて「なんだろう?」と感じることがたくさんあって、難しいなと思ってしまう部分もあるんですよね。
山川さん
そうですねえ。それでは、みなさんからよく頂く疑問をもとにして、歌舞伎の舞台の「お約束」についてお教えしましょう。
花道って、なあに?
歌舞伎座にいくと、舞台から観客席に向かって、1本の道がのびていることを発見できると思います。これが、花道と言われている重要な道です。花道は、主要な登場人物が登場したり、退場していく場面でよく使われます。花道から登場する人は、今日のお話で重要な人なのだなという目印になります。それに歌舞伎は、カーテンコールがありませんから、その代わり、花道を使って退場していく場面が一番の大盛り上がりのシーンになったりもします。作品ごとに、花道という舞台構造をどのように使うか、工夫も凝らされているので、歌舞伎をご覧になったときには花道に注目してみてくださいね。
花道の写真は、下記のサイトから確認できますよ!
花道をつかった演出「六方」(日本芸術文化振興会さんのサイト)
このサイトから、実際に花道を使って華々しく登場人物が退場していくシーンの動画を観ることができます。残念ながら、字幕はありませんが、全身を使って大きく足を踏みしめ、六方と呼ばれる所作で豪快に花道を退場していく姿は、音無しでも十分に楽しめると思います!
[スクリーンリーダーでの読み上げについて]「歌舞伎辞典」の見出しから読み進めていってroppoという英語表記の直後、play videoと読み上げられるボタンを押すと動画が再生できます!
黒い服を着た人が動き回っているのは、なんで?
歌舞伎の舞台には、色鮮やかな衣装を着た歌舞伎役者と対照的に、真っ黒な服を着て、目立たないようにこっそりと動き回っている人がいます。この人たちは、セリフをお話することもなければ、歌舞伎役者さんはその人たちの動きを気にしている様子をみせません。いったいこれは、どういうことなのでしょうか。実は、この人たちは「黒子」という役割の人たちなのです。黒という色は、歌舞伎の舞台では「無」を表します。つまり、そこにいても「見えていません!」というルールでお客さんは舞台を楽しんでいるのです。とはいえ、あまりに動きがノロノロしていたり、大きかったりすると、見えていませんというお約束があっても、気になってしまうものです。黒子の役割を果たしている人たちは、役者さんの演技にお客さんが集中できるように、一切無駄のない動きで衣装の着替えを手伝ったり、小道具を出したり、サポートを行っています。黒子の皆さんの見えない努力によって、歌舞伎の舞台が進行しているのだなあと、気が付いてもらえると嬉しいですね。
どうして、たまに天井から白い紙が落ちてくるの?
歌舞伎の舞台を観ていると、お話によっては、突然、舞台の上に白い紙がハラハラ…と落ちてくることがあります。これは何を意味するのでしょうか?
実は、この紙は雪を表しています。上から降ってくる量も、作品によって違います。一気にドサッと落ちてくる場合もあります。白い紙で表した雪が降りしきる中、「雪音」と言われる、雪が降る音をあらわす太鼓の音が、舞台を盛り上げることもあります。白い紙が落ちてきたら、ああ、雪が降ってきたのだなと思ってくださいね。
雨がふってないのに、傘をもっている人がいるのはなんで?
お天気に関連するお話として、歌舞伎において「傘」が表す意味をお話いたしましょう。歌舞伎では、雨が降っている場面ではないのに、登場人物が傘をもって登場することがたくさんあります。さて、これはどういうことなのでしょうか。
実は、歌舞伎において、傘を持つことは、二枚目役者(イケメン役者!)を表しています。傘をもって登場した人物がいたら、花形役者の登場だ!と注目してみてくださいね。
馬の脚の役の人もいるの?
歌舞伎の作品をみていると、たまに、歌舞伎役者が馬にのって登場するシーンが出てきます。馬といっても、本物の馬ではなく、中に2人の人が入って、歌舞伎役者をかつぐ、作りものの馬です。前足を担当する人は、馬の首の動きも担当しています。
そして、このお馬さんですが、ただ歩くだけがお仕事ではありません。「近江のお兼」という作品では、役者と一緒に馬も踊りを踊るシーンがあります。役者さんを背負った状態で踊りを踊るのですがから、馬の脚を担当する人は、大変な苦労です。舞台にお馬さんが出てきたら、目に見えないところで奮闘する、馬の脚に注目してあげてくださいね。
H松の余談「宝塚の舞台でもお世話になりました…。」
実は、この歌舞伎のお馬さん、宝塚の舞台でも登場していました。松竹さんからお借りしたお馬さんは、宝塚雪組公演「一夢庵風流記 前田慶次」で出演しています。聞くところによると、大阪松竹座で行われた、片岡愛之助さん主演公演「花の武将 前田慶次」に登場したお馬さんを少しばかり「改良」して宝塚の舞台にお招きしたのだそう。宝塚の舞台はもちろん、普段は男の人が一緒に演技をすることはありませんが、「馬協力」として片岡千藏さん・鎌田雅尋さん・宮田真志さん・出村吉識さん(宝塚大劇場公演のみ)の4名が見事な共演をされています。松風くんという黒い馬にまたがって、颯爽と舞台を駆け回る、トップスター(主役)の壮一帆さんの姿が今も思い起こされます。当時、私は大学2年生でしたが、「壮一帆さんをカッコよく見せて下さってありがとうございます…」と、毎回、松風くんのたゆまぬ努力と頑張りに頭を下げていました(笑)映像でみると、少し滑稽?に見えてしまうかもしれませんが、実際の劇場でみると、なかなかの迫力なんですよ。
どうして、客席から大きな声で叫ぶ人がいるの?
歌舞伎を観に行くと、突然、観客席から「音羽屋!!」「成田屋あ!!」と大きな声で叫ぶ声が聞こえることがあります。これはいったい、どういうことなのでしょうか。
実はこの声、デタラメなタイミングで騒ぎ立てているわけではないのです。
芝居を盛り上げる、ここぞ!というタイミングで掛け声をかける、「大向こう」さんという人たちが歌舞伎座にはいます。大向こうさんたちは、長年歌舞伎を観続けている人たちで、役者さんの演技に対して、とてもとても目の肥えたお客さんです。昔の歌舞伎座では3階席、今の歌舞伎座では4階席に、大向こうの席があります。観客席の中では最も舞台から遠い位置、しかし天井に最も近く、声が劇場全体に通りやすい位置から掛け声をかけるわけなんです。大向こうの先輩方に認められて、免許皆伝、ではありませんが、掛け声のタイミングが完璧であるとされると、「木戸御免」といって、無料で歌舞伎を観ることのできる権利を得られます。私は大学生の時代に、すっかり歌舞伎にのめり込んでしまって、大向こうの先輩方の掛け声をまねては、何度も自主練習を積み重ね、学生大向こうとして認めて頂くことができました。そのあたりのお話は、「大向こうの人々」という本に書いています。大向こうという存在の大きさも、歌舞伎の魅力の1つです。
H松の余談「宝塚ファンの客席マナー」
歌舞伎には上記のような掛け声文化がありますが、宝塚は掛け声の代わりに拍手を入れることが暗黙のルール(別に誰がいけないと決めたわけではないけれど、それが正しいとされていること)になっています。H松の祖母いわく、昔は宝塚も客席から掛け声をドンドンかける文化だったそうなのですが…。ベルサイユのばらという演目が大流行したときに、客席があまりにうるさくなって、舞台の進行に支障をきたすからという理由で、掛け声を遠慮しましょうというマナーができあがっていったそうです。
実は、H松には、掛け声に関し、宝塚ファンの友人たちと食事に行くたびに語り草になっている思い出があります。題して、「2階席からの掛け声事件」です。
ラインダンスに大興奮した1人のおじいさんが「待ってましたあ!!」と2階席から「掛け声」をかけたことがありました。ちょうど、タカラジェンヌの皆さんが一列に並んで、「さあ、いよいよ!」と客席の誰しもが拍手の準備をしていたタイミングです。本当に「待ってましたあ!!」と完璧なタイミングだったのです。あまりに完璧なタイミングだったがあまり、客席が一瞬「おお…」とざわめいて、声の主をキョロキョロ…。客席に動揺が広がる一方、舞台上では、何もなかったかのようにタカラジェンヌが華麗に足を上げ続けるという、なんともシュールな対比が生まれていました。歌舞伎座なら、歌舞伎役者が「待っていたとはありがてえ…!!」と返す流れなわけですが、流石にここは宝塚。清く正しく美しく…がウリのタカラジェンヌが「待っていたとはありがてえ…!!」などど返せるわけがなかったわけです。
その後、劇場の案内係のおじさんが、すぐにそのおじいさんの所に駆けていって、宝塚では掛け声をご遠慮頂いていることを説明し、おじいさんは平謝りでこの事件は一件落着となったわけなのですが、あの独特の空気感は、今思い出しても静かな笑いがこみ上げてきてしまいます。歌舞伎同様に、今の宝塚も掛け声が「合法」だったなら、間違いなくあのおじいさんは「宝塚の大向こうさん」の仲間入りでしょう。あのとき、感動して思わず声を上げてしまったおじいさん…。おじいさんのタイミングは完璧ですので、次回は是非、的確かつ鮮やかなタイミングの拍手での「掛け声」を期待しております!!
次回、「山川さんが歌舞伎から得た学び」に続きます!乞うご期待!
山川さんの著作「大向こうの人々」
この記事を書くにあたって、前回ご紹介した「歌舞伎の愉しみ方」に加え、「大向こうの人々」も参考にさせて頂きました。
山川さんが歌舞伎に夢中になっていった大学生時代のお話を読むことができます。何かに夢中になることの楽しさ、歌舞伎という演劇を通して色々な人とのご縁が生まれていく素晴らしさを、まるで自分も当時の歌舞伎座の3階席に通っているかのようなリアルな視点で体験できる本です。サピエにも点訳データ、音声データがあります。是非、皆様ご一読ください。
山川静夫, 2009, 「大向こうの人々-歌舞伎座三階人情ばなし-」, 株式会社講談社.