きせつめぐり、ことばめぐり 葉月

法被をきてはしゃぐ女の子 理科:まなナビNAVI

さんかくすと文がえます

 

8月/葉月はづき

蝶を捕まえようとしている男の子のイラスト

 

さて、前半は楽しくワクワク、後半は次第にドキドキ、ハラハラあせりだす月。
そうです。夏休みの宿題に追われがち(?!)な8月がやってきました。

 

8月といえば葉月はづきと呼びますがその由来ゆらいは何なのでしょうか?

 

M先生
M先生

実は、今回ご紹介してきた月の異名いみょうは、太陰暦たいいんれきもとづくもので現在の月とは微妙びみょうにずれています、
というところからひもかないと、8月が「葉月はづき」という名前になった由来ゆらいなぞあばくことはできないのです…。

 

男の子と女の子のブタ、犬、クマ、猫、うさぎのキャラクターが水着姿で手をつないでいるイラスト

 

M先生
M先生

……ん?!
なになに?

…「葉」とつくくらいだから、葉っぱに関連した由来ゆらいなんじゃないか?って…??

 

スイカと蚊取り線香のライン

 

M先生
M先生

ふむ。
するどいですね。お目が高い。

そうなんですよ。実は葉っぱが関連している。
葉っぱがどう関連してくるのか…イメージきます?

…実は、ひらひらと葉が舞い落ちてくる、そういうイメージなんです。

 

花火とお祭りのライン

 

M先生
M先生

えっ?なに? 
夏はまだ葉がしげっているはずだって?
落ち葉とかそういうことを言うのなら、もっと秋になってからのはずでしょう??

…ふっふっふ。
そこですね。まさにそこが「太陰暦たいいんれき」と現在のこよみのズレなのですね。

 

…とM先生が一人盛り上がり始めましたが、
太陰暦たいいんれき」とはそもそも何なのでしょうか?

太陰暦たいいんれきとは、月の満ち欠けを基準にしたこよみです。

空を見上げると晴れているのに月が見えない日があったり、三日月みかづき、半月、満月だったり、形を変えていることに気が付くことができるかもしれません。

三日月みかづきがあったり、満月があったり、半月があるわけではないのです。
月は一つしか存在しません

そして月は地球の周りをまわっているのです。
太陽の光を月がどのように浴びているのか、と
地球からどのような角度で月をみているか、で
月は形(見え方)が変わるのですね。

 

 

新月から次の新月へと変わる周期が約29.5日
これを一月としたのが「太陰暦たいいんれき」です。

(正確にいうと、かつて日本で用いられていたのは、太陽太陰暦たいようたいいんれきです)

 

ひとびとは月の満ち欠けを見ることでこよみを知ることができました

ですが、29.5日を一月と考える太陰暦たいいんれきでは、
29.5日×12月=354日 となり、一年の四季がめぐる日数(約365日)とずれが生じてしまいます。

これだと四季の変化を反映できなくなってしまう、という都合上、
季節と太陰暦たいいんれきを一致させるために、数年に一回「閏月うるうづき」を置くなどの工夫をして、
太陽のサイクルと月のサイクルの両方を反映させるこよみ太陽太陰暦たいようたいいんれきを日本は使い続けてきたのでした。

旧暦きゅうれきとして現在は知られる太陽太陰暦たいようたいいんれきは、明治5年に廃止はいしされ、現在は使われていません

 

M先生
M先生

では、現在はどんなこよみを使っているのか?

 

それが西洋由来ゆらいの「太陽暦たいようれき」です。「グレゴリオれき」とも呼ばれます。

このこよみは、
● 1年を365日とし、それを12月に分けて4年ごとにうるう年をおくこと。
● 1日を24時間とすること
とするもので、旧暦きゅうれきの 明治5年12月3日 を新暦しんれきの 明治6年1月1日 として、始められました。

   

M先生
M先生

こよみを変えた理由は、明治維新めいじいしん下でアジアへの侵略しんりゃくを強める西洋列強諸国せいようれっきょうしょこくに対抗するため
文化も含めて西洋化を急ぐ必要があった、ということなどが挙げられています。

ですが、本当のところは、その年がちょうど閏月うるうづきのある年で、ひと月分のお給料を支払うのを節約したいなあ…という経済的な事情があった、ともいわれています。
…ひどい話ですけど…。

 

 

そんなわけで、葉月はづきとは旧暦きゅうれきもとづく名前だった、ということがお分かりいただけたかと思います。

旧暦きゅうれきでは「閏月うるうづき」がいろいろなタイミングで入ってくる関係上、
ぴったり新暦しんれきのいつ頃が旧暦きゅうれきのいつ頃に当てはまるのか、を答えることはむずかしいといえます。

その年によって、葉月はづきにあたる月がいつから始まるかが変わってしまうためです。

ただ、だいたい葉月はづき8月20日から9月20日のころから始まっていたようです。

最近では、夏の暑さが長く続き、紅葉がみられる時期も遅れがちだったり、
葉が落ちる気配はなかなか感じられないものですが、
葉月はづきの由来として「葉」が用いられる理由を少しだけ感じていただくことができたのではないか、と思います。

 

  

山の日

大きな山のシルエットが浮かび上がる、夕焼け空のイラスト

 

自然や山の恩恵おんけいに感謝する日として制定された国民の祝日です。
今年は8月10日が山の日です。

 

この祝日も、実は比較的最近作られた記念日。
2016年から「山の日」が新設されました。

山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する日」とされています。

 

ぼん

お盆に飾るような、豪華な金色の花瓶に入ったカラフルな菊のイラスト

ぼんとは、日本で夏に行われる祖先のれいまつる一連の行事のことです。
日本古来こらい祖先信仰そせんしんこう仏教融合ゆうごうした行事でもあります。

かつては、太陰暦たいいんれきの7月15日を中心とした期間に行われていましたが、
現在では新暦しんれきの8月15日の頃が一般的におぼんの時期とされています。
地域によってもずれがあるようです。

  

いったい、この「おぼん」とはどういうことをする日なのでしょうか?

あまり知らない人もいるかもしれません。

ぼんの時期には、先祖が浄土じょうどから地上に戻ってくると考えられています。
ご先祖様がお家に帰ってくることができるようにお迎えし、お見送りする
先祖の冥福めいふくをお祈りし、先祖のれい供養くようするための機会なのです。

 

では、おぼんはなぜ「ぼん」と表現するのでしょうか?

 

実はおぼんの正式名称は、
盂蘭盆会うらぼんえまたは盂蘭盆うらぼんといいます。
そしてこの名称の由来にあるのは、「盂蘭盆経うらぼんきょう」というお経。

さらに言葉をひも解くと、もともとの由来は「Ulambana(ウランバナ)」というサンスクリット語。
ぶら下げる」「るす」という意味の語だそう。

  

釈迦しゃかさまの弟子の目連もくれんさんが、地獄でお母さんが逆さづりにされて苦しんでいる(生きている間の行いが悪かった、ということで地獄に行ってしまったのです)ことを知り、「どうしたらいいか」とお釈迦しゃかさまに泣きついたところ、

夏安居げあんご(4月16日から3か月間、僧侶そうりょが室内にこもって修行する期間)のおわる7月15日に修行僧に飲食を供養くようしたらその功徳くどくによって救われる」と言われ、

それを実施し、救われたというエピソードがおぼんの行事の背景にあるそうです。

 

7月15日に地獄におちてくるしむ人たちを供養くようする、という仏教の教えと、
中国の儒教じゅきょう道教どうきょうの教え
日本のぼんには祖先がかえってくるという信仰が合わさって、
今日のような「おぼん」になったのではないかと言われているのです。

お盆のときにご先祖様を迎え入れる(送り出す)ために焙烙(ほうろく)の上などで焚かれる火のイラスト

  

ぼんの時期、家庭によっては迎え火送り火きます。
お墓もしくは家の門口や玄関前で焙烙ほうろくと呼ばれる素焼すやきの平らなお皿のうえにオガラを置いて火をともしてきます。

お墓で迎え火をした場合は、その火を盆提灯ぼんちょうちんに移し、そのまま自宅に持ち帰ります。

 

M先生
M先生

オガラとは、麻の皮をはいだ後に残るしんの部分のことだそう。

清浄せいじょうな植物とされていて、悪いものを清めてくれるものとされているのですって。

 

すべて、ご先祖様が自宅まで迷うことなく来ることができるようにする、ということなのです。

また、ご先祖様をあの世へかえる際も、同様に迷子にならないようにお見送りします。
灯篭流とうろうながなど川に流す慣習を持つ地域もあるそうです。

 

灯りのともったいくつもの灯篭が川の水面に浮かびながれている様子を写した写真

 

お盆の期間中に飾る、茄子やきゅうりを使った牛や馬の形をした飾り物、精霊馬のイラスト

ナスやキュウリで馬と牛を作る慣習も、
ご先祖様に早くお家に帰ってきてほしいからキュウリの馬(精霊馬しょうりょううま)に乗ってきてもらい、
帰りは少しでも長くこの世にいてほしいのでナスの牛(精霊牛しょうりょううし)に乗ってゆっくり帰ってもらおう、という願いが込められています。

(が、どちらに乗ってきてもらうか、などやはり地域によって異なるようです)

 

 

戦争の歴史

第二次世界大戦中に核兵器で被曝した、広島県に建つ原爆ドーム(広島平和記念碑)のイラスト

1945年8月6日広島ひろしまに、1945年8月9日長崎ながさき原爆げんばく投下とうかされました。
そして1945年8月15日に日本は敗戦はいせんを認め、終戦しゅうせんを迎えます。

6月のページで紹介しきれませんでしたが、1945年6月23日には、第二次世界大戦の沖縄おきなわにおける戦闘せんとう終結しゅうけつした日として、沖縄慰霊おきなわいれいの日としても知られています。

 

 

第二次世界大戦における戦争は、「戦場での戦い」ではもはやなくなっていたことが大きな変化として語られます。

ライト兄弟が飛行機を発明し実用化させたのが1903年のことでした。

第一次世界大戦時でも飛行機は用いられていましたが、そこまで大規模だいきぼには使われていませんでした。

それが、科学技術の発展・展開に伴って、戦闘機せんとうき攻撃機こうげきき爆撃機ばくげきき偵察機ていさつきなどさまざまな機種がうまれ、敵の都市の人口密集みっしゅう地帯を無差別に空爆くうばくするなど、戦争のスタイルがどんどん変化していったのです。

 

  

第二次世界大戦中、日本以外でも、世界中の各都市で、多くの人が亡くなりました。
兵士だけではなく、普通に暮らしていた多くの一般の人々が亡くなりました

 

戦争を体験した方たちの声を今も伝えていこうとする取り組みもありますし、
残された手記しゅきなどから、当時の人々の生活や想いをむこともできます。

ただ、そもそも「言葉にする」、「言葉にして残す」ということはむずかしいことなのかもしれないのです―。
その体験が、あまりにも悲惨ひさん過酷かこくなものであればあるほど、語ることができなくなってしまうということもあるのではないでしょうか。

 

そのような意味で、残された言葉や記録が「すべて」ではないかもしれません。
それでも、私たちは語られたことに対して誠実せいじつに向き合い、
言葉に耳をかたむけることが必要なのではないかと思います。

 

 

また、決して「過去」の出来事ではなく、
現在進行形で国際関係が日々変化していることについても、忘れてはならないのだと思います。

戦闘技術せんとうぎじゅつ一層いっそう進歩し、戦争の在り方もまた変化していることも指摘されています。

 

M先生
M先生

最後に宇宙から見た地球の映像をぜひ。
JAXA大西卓哉おおにしたくや宇宙飛行士が案内をしてくれています。

みなさんがよい夏の日々を過ごせますように。

  

  

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