▶ を押すと文が増えます
点字という日本語の示しかたを、N川さんやSさんが教えてくれましたね。
さあ!いざ、点字で日本語の文章を読むことにチャレンジしてみよう!!
点字楽しい!!
…と思ったら、あれれ??
なかなか難しいところがあるかも…
??
えっ。どういうことですか?
いやあ……
この文章を点字に変換させたら、どうなるんだろう??と悩んでしまって。
ウキウキしながら春巡りのお散歩。「サクラ咲く🌸」を実現して4月から晴れて大学生になる友人と公園に出かけた。話を聞いて、想いを語って……いい時間を過ごせたなぁ。
クエスチョン:みなさんならどうする?点字にするときの工夫
点字の特色の一つは、漢字やカタカナ、ひらがなを書き分けない、ということでしたよね。
つまりそれってどういうことなんでしょう?
うきうきしながら はるめぐりの さんぽ。 「さくら さく*」を じつげんして 4がつから はれて だいがくせいになる ゆうじんと こうえんに でかけた。 はなしを きいて、 おもいを かたって…… いい じかんを すごせたなぁ。
- 絵文字の扱い 🌸
絵文字が使われているけど、点字にはどう反映されるのでしょうか?? - 同音異義語
「こうえん」という言葉が出てきました。
すぐに「公園」だと分かるでしょうか?「こうえん」には「講演」や「公演」もあります。 - 同訓異字
「想いを語って」の「想い」という言葉。
「思い」ではなく、敢えて「想い」という漢字を使っているのでしょうか。
そういえば、「きく」という言葉にも「聞く」や「聴く」がありますね…
とっても微妙な差なのですが、漢字とカタカナの表記の違いや同音異義語、同訓異字、そのままスルーしてしまってよいものなのか、悩ましいです…。
なるほど~。
点字になってしまうと、M先生が言っている微妙な「差」は分からなくなってしまうんですよね。たいていの場合は、「文脈」から判断してしまうことが多いです。
でも、そんなときにありがたいのが点訳者さんの注釈です。
点訳というプロセス
墨字の日本語を点字に変換させていく作業のことは、点字に翻訳する、という意味で「点訳」と呼ばれます。
この「点訳」を専門的に実施しているのが「点訳者」さん。
点字で正確に文章が読めるように、地名や人名なども含めてしっかり読み方を確認して点訳したり、同音異義語や文脈から判断することが難しいと思われる部分について、コメントを入れて注意を促すことも、点訳のプロセスに必要な作業です。
点訳のプロセスにともなって発生するコメントなので、「点訳注」と呼ばれ、「点訳挿入符」という点字を付けてコメントを挿入します。
研究がたくさん蓄積されて、自動で点訳をしてくれる「自動点訳」もたくさん活用されている、と聞いていたのですが……。
はい。自動点訳ソフトには私もすごくお世話になっています!
でも、日本語は、文字が発音通りに示されていないところがクセモノなのです。
点訳注をつけるのはどんな時?
『点訳のてびき』という点訳を行うときの教科書には、次のように紹介されています。
① 同音異義語があって、文脈の中でも判断が難しい語
② きわめて難解な語
実際に『点訳のてびき』で紹介されていた例を見てみましょう。
むむむ?とみんなも思うかも!?
例1.キョーブ
例1)「頬部と胸部」
点字だと「キョーブ ト キョーブ」と書かれています。
両方とも「きょうぶ」と読むんですね~
…読み方は点字だとバッチリ分かるけど、二つの「キョーブ」とは一体何を指すのやら…分かりませんねえ。
実は、読み方が分からなくても、漢字が分かってしまうと、何と何の話をしているのかが分かるんですね。
「頬部」と「胸部」…。部の前の「頬」と「胸」を何とか説明できれば、良いのだけど…。
Sさん、さっすが!
「キョーブ」の「キョー」を示している二種類の漢字を、別の読み方で説明する、というのが正解のようです。
「キョーブ」は音読みで発音しているので、訓読みの読み方を、点訳注を使って紹介するんですね!
例1)「頬部と胸部」
キョーブ(点訳挿入符)ホオノ ブ(点訳挿入符)ト キョーブ(点訳挿入符)ムネノ ブ(点訳挿入符)
「2・3・5・6の点」の繰りかえしで点訳者注を表すことは先ほどみてきたとおりですね。
文中に、点訳挿入符が現れた場合、直前の語について説明をしています。
最初の「キョーブ」は、「ホオ」とも読む漢字が使われていて、
二つめの「キョーブ」は、「ムネ」とも読む漢字が使われているんだ、ということが分かりました!
「頬」
=「夾(ものをはさむ)」+「頁(儀礼用の帽子をかぶった人を横から見た形・人の顔やその周辺の部分を示す)」
「大(手足を広げて立つ人を正面から見た形)」と人と人を組み合わせた形の「夾」は、人が両脇に人をかかえている形で、「ものをはさむ」という意味があります。
「頁」は儀礼用の帽子をかぶった人を横から見た形で、額・頭・頷(あご)・頸(くび)・頏(くび)・領(くび)・須(ひげ)など、人の顔やその周辺の部分をいう字によく用いられるそうです。
「胸」
=「月(にくづき、身体の部分を意味する)」+「勹(全身を横からみた形)」+「凶(悪い霊が入ってこないようにバツ印のおまじない」
もともと「匈」という漢字が胸のもとの字だったそうです。
「匈」は、人の胸に×形の>文身(一時的に描く入れ墨)を加えた形です。
人が死亡すると悪い霊がその死体に入り込まないように朱色で×形の文身を描いてまじないとしたことがその起源だそう。
その字は凶で、それに人の全身を横から見た形の「勹」を加えて、「匈」となり、さらに身体の部分であるという意味の「月(にくづき)」を加えて「胸」という漢字になったのだそう。
漢字は漢字で、その形に注目すると、意味が読み解けそうですね。
※ 白川静さんの「常用字解」という語源辞典を参考にしました。
点字も暗号みたいだけど、漢字も暗号みたい!
例2.コーヨージュ
例2)「オリーブ・コルク樫などの硬葉樹と、椎・楢などの広葉樹」
ふむ。
最初の「コーヨージュ」には、オリーブやコルク樫が含まれていて、
二番目の「コーヨージュ」には、椎や楢が含まれているんですね。
…これって植物の話ですよね?
そっか。漢字だと「葉」や「樹」という漢字が含まれているので、「葉」や「樹」を読むことができれば、植物の話…特に「樹」に関する話だと分かるんですね。
一方で、「樫」や「椎」、「楢」という漢字は難しいです~…。
ほんとだね。
結局、二種類の「コーヨージュ」、何が違うのかな??
オリーブ・コルク樫のグループと、椎・楢のグループの違いってことですよね。
例2)「オリーブ・コルク樫などの硬葉樹と、椎・楢などの広葉樹」
オリーブ ・ コルクガシナドノ コーヨージュ(点訳挿入符)カタイ ハ(点訳挿入符)ト シイ ・ ナラナドノ コーヨージュ(点訳挿入符)ヒロイ ハ(点訳挿入符)
点字は、漢字の発音を正確に確認して、点字に記していきます。
なので、難しい漢字「樫」、「椎」、「楢」の読み方は確認することができましたね!
ですが、二種類の「コーヨージュ」。
点字になったからと言って、大きなヒントが得られたわけではなさそうですね…。
「カタイ」葉の木 と 「ヒロイ」葉の木、ということで、「コー」と読む二種類の漢字の別の読み方がここでも紹介されるにとどまっています。
点訳者注があるからといって、答えが示されるわけではないのですね。
でも、「えっ?どういうこと??」と関心を持ってみると、謎が解けたりするので、それが面白いですよね。
さて、実際のところ、どうだったんでしょう??
実は、「カタイ」コーヨージュ と「ヒロイ」コーヨージュ は、生息地域に違いがあるようです。
「ヒロイ」コーヨージュ・広葉樹
冷温帯に分布。夏に雨量の多い地方に発達します。実はまさに日本の大部分(本州東半分から北海道)がこの地域に該当するそうです。
「カタイ」コーヨージュ・硬葉樹
暖温帯に分布。夏に雨量が少なく、冬に雨が多い地方に発達。含水量の少ない硬い常緑の葉をもつ。
樹木には他にも種類があります。
その樹木が生えている環境や気候からも大きな影響を受けるようです。
興味が止まらない方は、下のサイトも覗いてみてね。
点訳注をつけるときの注意
点訳注は内容を理解するうえで不可欠であることが分かりました。
ですが、点訳注を付ける際は、注意も必要なようです。『点訳のてびき』には次のように書かれています。
点訳挿入符は本文の流れを中断して説明を行うので、使用が過剰にならないように気を配り、説明も簡潔明瞭に行って、本文の雰囲気や理解を損なわないように心がけましょう。
難解な語であると思っても、点訳者1人の判断で点訳挿入符を使用することはせず、複数で相談する姿勢が必要です。
つまり、点訳注があまりにもたくさんあると、逆に内容を理解しにくくなってしまうことがあるから、「ここぞ!」というタイミングを見極めなくてはならない、ということなのですね。
そうなんですよねぇ…。
でも、きちんと内容を理解しようとしたり、著者の意図を汲もうとするとき、点訳注は必ず必要になると思うので、その判断が難しいですよね。
以前、「きく」態度に関する文章を大学で読んだとき、見聞の「聞く」なのか、「視聴」の「聴く」なのか、音声で読んでいて混乱したことがあります。その文章を理解するうえで、どちらの「きく」なのかがとても重要だったのです。
点訳者さんに点訳挿入符を使ってどちらの「きく」なのかしっかり注釈をしてもらって、「なるほど~」と楽しく内容にアプローチできたことがあります。
なるほど…。
なかなか考えさせられます。
思ったのですが、もしかしたら記号類も点訳で悩ましいポイントになるのでしょうか?
実は点字でも記号は示せるんですよ~!
点字で記号類を示すとき
「かぎかっこてんまる」の記事でも紹介してきたような、句点「。」や読点「、」、感嘆符「!」や疑問符「?」、中黒「・」は点字で示すことができます。
カギカッコも、「第1カギ」や「第2カギ」という名前のついた点字で示すことができます。
これで、「」や『』を使い分けることができますね。
あら!
こころなしか、第2カギは、カギカッコっぽい形をしているようにも見えますね。
面白いですよね~
実は点字は矢印も示せるんですけど、実際に矢印のような形をしていますよ。
一方で「かぎかっこてんまる」で、カッコにも種類が多くあることをみてきました。
それに対応するのが「第1カッコ」、「第2カッコ」、「二重カッコ」です。
文章を読んでいると、太字やアンダーラインなどが引かれたもの、傍点が振られたものも出て来ますよね。
これはどうやって示すんですか?
ですよね。気になりますよね!
みていきましょう~
傍点やフォントが変更されている部分、アンダーライン、強調が文字上で示されている場合は、「指示符」と呼ばれる記号を使って示します。
「第1指示符」、「第2指示符」、「第3指示符」と呼ばれるものが該当します。
基本的には「第1指示符」から使っていき、区別が必要なものが出てきたら、「第2指示符」、「第3指示符」を使って、読み分けることができるようにしていきます。
文章によっては、記号をたくさん使い分けたり、フォントを変えたり、アンダーラインが引かれていたり、趣向を凝らしているものもありえます。
なぜ、そうした表記上の工夫がされるのか、というと、読み手に特に伝えたいことがあるからです。
それが、下線(アンダーライン)だったり、太字だったり、斜体(文字が斜めに書かれる)だったりするわけです。
みんな著者や書き手が「ここ大事です!」「注目してください!!」と思う、強調したいポイントです。
でも、強調させるための方法にも注意が必要です。
いろいろな強調が混在していると、混乱してしまいます。
なので、それぞれの強調(下線、太字など)は、それぞれの出番が与えられているのです。
どういう場合に下線が引かれていて、どういう場合に太字になっているのか――などが、分かりやすく使い分けられていることが大事です。
例3)
日本には四季があるといわれています。四つの季節として知られているのは、春・夏・秋・冬です。
春といえば、3月~5月ごろを指し、卒業式や入学式、お花見やゴールデンウィークなどがありますね。新緑が美しい季節です。清少納言さんは、「春はあけぼの」とうたいます。
夏は、6月~8月ごろの季節で、気温も上昇してきます。木々の葉も成長し、生き物の活動も活発化。お祭りや花火大会など楽しいイベントもありますが、お盆などでご先祖様に想いをはせる季節でもあります。清少納言さんは「夏は夜」と月明りや蛍や雨を楽しんだそうです。
秋は9月~11月。作物が実り、ご飯がおいしい季節です。「食欲の秋」「芸術の秋」「読書の秋」などと呼ばれます。だんだんと日が落ちるのが早くなってくると感じられるのもこの季節。清少納言さんも「秋は夕暮れ」といいますが、この季節の夕焼け空は切なくも本当に美しいですね。
冬は12月~2月。吐く息が白ければ白いほど、冬を実感する季節です。クリスマスや大晦日やお正月などのイベントもあって、お節料理やお雑煮など日本ならではの食事も楽しめますね。清少納言さんは、「冬はつとめて」といっています。「つとめて」とは早朝のことですね。
例えば上の例だと、
で示す、などのルールに基づいて強調がされていました。
この強調を、点字の場合は「指示符」を使い分けて表現するのですね。
たいていは、文章が始まる直前、目次のあたりに、どのような記号や強調が登場するのか、それらはどのように点字で示されているのか、という説明がされる、というのが決まり事になっています。これは一般的には「凡例」といわれます。
読む文章によって、どの点字で特定の記号や強調表現を使い分けるかが変わります。
「この文章では、この点字はこの意味で使うよ!」というルールの確認は、ちゃんと内容を伝えるためにも、受け止めるためにも重要ですね。
こういうのを「定義」と言ったりするのでしょうかね。
辞書には、ちょっと難しいけど、こんなふうに書いてあります。
【定義】
ある概念内容・語義や処理手続きをはっきりと定めること。それを述べたもの。
文章を理解するために――
日本語の文章を読んだり、理解するためには、実は「漢字」だったり、カギカッコや記号類などさまざまな表記上の工夫の存在を無視できません。
点字はさまざまな工夫をしながら、表記上の工夫に対応していますが、一方で、読み手の邪魔になりすぎないようなバランスのとれた点訳が必要になってくるともいえそうです。
改めて、「墨字」には、情報量が詰まっているんだなあと思いました。
漢字がどう書かれているか、ということから様々なバックグラウンドを想像できるのは、面白いですね。
だからこそ、注釈が必要になるのだなあと思うのですが、「どこまで」を「どれくらい」伝えるか、は難しいですね。
本当に。映画の音声ガイドなどを作っているシネマ・アクセス・パートナーズさんなども、作品をそれぞれが楽しんで視聴できるように、必要以上な説明は加えないように注意していると、お話をしてくださったことがあります。
一方で、学校で勉強するときには、学んだり、考えたりするうえで、手がかりになるような情報はしっかり届けられているべき、という考え方もあります。それは、先生が「責任」として判断して、伝えきる努力をするべきなのかもしれないです。
実際、違いがあったとしても、その違いが「ある」のか「ない」のか、見て確かめることができないわけですからね。
これは、聴覚障害のある方にとっても同じですね。そもそも聞こえていなければ、伝えられたのか・伝えられていないのか、分からないわけです。
一方で、点字だと読み方がしっかり示されますね。
「墨字」は、難しい熟語などあっても、なんとなく読み飛ばせてしまえたりするけど、そういうことはきっと起こらないんですよね。
そうですね。
読み始める場所を選んだり、部分的に読んだりすることはもちろんできますが、実際に「読む」という作業をする場合は、点字をひとつひとつ確認しながら読むので、「読み方」が分からない、という問題はなかなかぶつからないですね。
丁寧に読む、ということにもつながるのかもしれないですね。
一方で、丁寧に読む「精読」は、書き表し方を確認することにもつながってくるので、この「丁寧に読む――精読」のために、どんな条件が必要になるのか、考えさせられますね。
そもそも、なぜそのように書き表される必要があったのか、という問いを持つことが、大事になってきそうです。
そうすることで、書き手がどんなふうに文章に想いを込めたのか、が見えてくるかもしれません。
そしてその表記上の工夫は、場合によっては、何らかの工夫をして読み手に伝えられる必要があるのかもしれません。
この作業は、著者の気持ちに寄り添いながら、日本語の文章のフシギや可能性の幅広さを味わう時間になりそうです。
もしかしたら無意識に、特に意味もなく書いていたのかもしれませんが、意味をこめて敢えてそのような表記の仕方をしていたのかもしれないのです。
このことは同時に、私たちが実際に文章を書く時にも、もしかしたら、表記の仕方にこだわる、という方法で表現の工夫ができるのかもしれない、ということでもあります。
一方で、点訳するときに、どんな工夫ができるのか…はこれからより深く考えていく必要があるかもしれないですよね。
「障害」?「しょうがい」?「障がい」?
みなさんは、「障害」という言葉がさまざまに書き表されているのを目にしたことはあるでしょうか。
「障害」と漢字で書かれていたり、ひらがなで「しょうがい」と書かれていたり、漢字とひらがなが組み合わされて「障がい」と書かれていたり…。はたまた難しい漢字で「障碍」や「障礙」と書かれていたりすることもあります。
同じ言葉なのに、いろいろな書き方で表現されていておもしろいですよね。どうして異なる書き表し方がされるのか――その背景には、「障害」に対する考え方や理解の差があるようです。
一方で点字は、こうした「障害」の書き表し方の違いを表現することはできません。点訳者注があることで書き表し方の違いを理解することができますが、点訳者注が必要か不要かの判断は、読者にはゆだねられません。書き表し方の違いを注釈で伝えるかどうか、は点訳者やその文章を伝えたいと考える側(著者や教師など)の判断に任されているのです。