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記事の概要
ニュースを見ていたら、赤ちゃんが生まれた数を示す「出生数」が減っている、というニュースが流れていました。
いわゆる「少子化問題」ですね
うん。
でも、どうやって、この「出生数」をだしているんでしょうか?
記事には、「2月の出生数は前年より10.3%少ない5万9789人となった」など、パーセントも紹介されているのだけど、これは、いったいどういうことなんだろう?
調べてみよう
出生数
まず、この「出生数」という言葉の意味から振り返ってみよう。
これは、「子どもの生まれた数のこと」。
どうして、日本全国で生まれた赤ちゃんの数が分かって、このようなニュースの記事になるのでしょうか。
実は、私たちは赤ちゃんが生まれたら「赤ちゃんが生まれました!」という報告を役所にしているのです。
役所は、その情報を集めて、まとめて、レポート(「人口動態調査票」といいます)を作成し、国に提出するのです。
そして、国(特に「厚生労働省」という機関が担当します)が集計して「人口動態統計」として、公表しているのです。
赤ちゃんが生まれたことを報告する「出生届」以外にも、人が亡くなったことを知らせる「死亡届」、結婚しました!報告の「婚姻届」やその反対の「離婚届」、生まれた赤ちゃんが亡くなったことを知らせる「死産届」などがあるから、私たちは、日本全国の赤ちゃんの人数を知ったり、亡くなった人の数を知ったり、結婚したり離婚したカップルの数を知ることができます。
いつから存在しているの?「人口動態統計」
そんなに歴史は古くありません。
日本では、人口動態調査は、明治31年(1898年)に「戸籍法」が制定されて実施されるようになります。
現在実際に用いられている「戸籍法」自体は、1947年に定められたものが用いられているようです。
戸籍とは――
国民各個人の親族的身分関係をはっきりさせるため、これを記載した公の台帳のこと
幕末・明治の時代は、欧米列強の脅威にさらされた時代でもありました。
近代国家樹立のため、国力増強のため、戸籍制度を確立することが目指されたのです。
そうして生まれたのが壬申戸籍と呼ばれるものでした。
当時の壬申戸籍は、「家」を基本単位とした「家制度」という考え方に基づいたもの。
やがて戦争が終わって、夫婦とその子供(2世代)を基本単位とする、現在の戸籍制度が生まれています。
最近では、パソコンを使ってオンラインで戸籍手続きが可能になっているといいます。
戸籍制度は、家族(戦前は家、戦後・現在は夫婦が単位になっています)ごとに家族構成・家族関係・生年月日を記録する公文書なのですが、実は国際的にはかなり独特の制度のようです。
アメリカなどでは個人が単位になっています。
歴史上の大発明
戸籍と呼べるようなものが、日本に導入されたのは、飛鳥時代までさかのぼるといわれています。
645年の「大化の改新」後、戸籍が制度化され、670年に「庚午年籍」と呼ばれる制度がつくられ、これが日本で最初に作られた、整った形での全国的な戸籍とされているそうです。
いわば、治めている領土に、どんな人が生きているのか――男性が何人で女性は何人いるのか…老人から子供まで、その人数などを把握できるようにしたんですね。
なぜ、こうした「村人リスト」のようなものが必要だったのか――
これは、村人(人民)を支配するためのものであったといわれています。
このリストに基づいて、人民・農地が管理され、税金の徴収や徴兵が行われたのです。
ですが、ずっとこの管理体制が続いていたわけではないそうです。
税金逃れのための戸籍の偽装が行われたり…と制度そのものは平安時代のころには崩壊し、消滅したといわれています。
その後、江戸時代には、「宗門人別改帳」といった名前の村・町ごとに作成された村人リストのようなものが作り出されたり、お寺で「過去帳」が作成され、それが戸籍制度の役割を果たしていたようです。
江戸末期・明治維新のころになると、先ほど挙げた壬申戸籍がもちいられるようになるのですね。
私たちが家系図を作りたい!となったら、「宗門人別改帳」や「過去帳」などの資料を探っていくことになります。
出生率
出生率の計算
さて、そもそも今回の記事の発端となった「出生率」。
そもそも「率」、すなわち「割合」とは、全体に対してそれが占める分量、比率、歩合などと説明される概念です。
または、基準に対するある量の比率を表す値、などとも説明されています。
「出生率」とは、生まれてくる赤ちゃんの人数の程度を、何を基準にして示したものなのでしょうか?
何を基準にするか…でずいぶん数字が変わってきますね。
例えば、全人口に対して生まれてきた赤ちゃんは何人いるのかを知りたかったら、
全人口の出生率=生まれてきた赤ちゃんの人数(出生数)÷人口
を計算することになります。
一方で、赤ちゃんの出産を経験するのは女性です。
女性一人につき、生まれてきた赤ちゃんは何人いるのか…
全女性の出生率=生まれてきた赤ちゃんの人数(出生数)÷女性の人口
でも、女性とは一口に言っても、「お母さん」になり得る年齢には制限があります。
そこで、15歳~49歳の女性が赤ちゃんを産む可能性があると考えて、特にこの年齢に該当する女性一人につき、生まれてきた赤ちゃんは何人いるのか、を計算することもできます。
15~49歳の女性の出生率=生まれてきた赤ちゃんの人数(出生数)÷15~49歳の女性の人口
合計特殊出生率
ニュースになっている、「出生率」は、「15~49歳の女性の出生率」のことなのでしょうか?
よーく記事を読んでみると、「合計特殊出生率」って書いてあります。
▼もう一度記事を見直してみよう
この合計特殊出生率とは、「一人の女性が生涯に産むと見込まれる子供の数」とあります。
どうやら、15~49歳の女性一人につき、生まれてくる赤ちゃんの数ではなさそうです。
合計特殊出生率とは、出生率計算の際の分母の人口数を、出産可能年齢(15~49歳)の女性に限定し、
各年齢ごとの出生率を足し合わせ、一人の女性が生涯、何人の子供を産むのかを推計したもの、なのだそうです。
もしも、本当に一人の女性が生涯で何人の子供を産むのか、その割合を見るのであれば、ある世代の女性を出産可能年齢の期間中、ずっと記録をとって、計算しなければならないのかもしれません。
ですが、それを一時点で、それぞれの年齢の女性の出生数を分けて調べ、その出生率を合計することで、あたかも一人の女性が生涯に産む子供の数とみなすものとして生み出された指標なのです。
記事には、全国の合計特殊出生率は、1.34であったと報道されています。
そして、地域によって、この合計特殊出生率に差がみられていた(一位が沖縄の1.86、最下位は東京で1.13)こともわかります。
合計特殊出生率は、上でM先生が紹介しているとおり、地域間の比較などでも使われる指標になります。
これまでにどのような推移があったのか、ということも調べられています。
上の図は、厚生労働省のホームページから引用してきました。
青色の折れ線グラフが、合計特殊出生率の推移を示しています。
ピンクの棒グラフは出生数ですね。
左側から右側にかけて、過去から現在に至るまでの過程を見ることができますね。
一番左端は、1950年。1950年のデータから、2019年までのデータが示されています。そして、2040年の「推計」値が示されています。
合計特殊出生率に注目すると、1950年は3.8くらいはあったのでしょうか。非常に高い出生率です。第一次ベビーブームと呼ばれた時代なのですね。
そして、そのまま急降下。1960年ごろには、出生率が2を切るくらいまでになります。
特に、1966年はガクンと落ち込んでいます。「ひのえうま」と呼ばれたりする年です。
その後、再び少しだけ出生率は上昇し、「第二次ベビーブーム」と呼ばれますが、そのままゆるやかに2000年代は下がり、最近また少しずつ上昇…そして落ち込みを繰り返しているようです。
なぜ「少子化」と呼ばれるのか…。
ところで、皆さんには「きょうだい」はいますか?
思い出してほしいのですが、ここでの「出生率」とは、つまり「合計特殊出生率」のこと――一人の女性が生涯で産むかもしれない赤ちゃんの数のことです。
最新のニュースだと、全国の合計特殊出生率は、1.34。
これはつまり、赤ちゃんを2人以上産む人もいるけれど、多くが一人だったり、一人も産まないということです。
みなさん自身のことや、皆さんの周りにいる友達のことを考えてみると少しイメージがつきやすいかもしれません。
最近では、「3人、きょうだいがいる」という友達は、少なくなってきているのではないでしょうか。
子どもたちの数が少なくなっているんですね。
子どもたちは、お父さんとお母さんの間で生まれてきます。
生き物はみんな、オスとメスが対になって子供を産むような仕組みになっているわけです。
2人の大人がいて、1人しか子供が生まれない、ということは、子供や若者の数はどんどん少なくなっていく、ということなのです。
計算では、合計特殊出生率が、2.1以上ないと、人口はどんどん減っていく、と言われています。
社会で活躍していくこと、家族を持つということについて、なんだか考えさせられてしまいますが、実は、私たちがこれから生きていくうえで、他人事にはしていられない、結構深刻なニュースだったのかもしれません…。
【ひのえうまとは】
もともと「ひのえうま」とは、干支が「丙」と「午」にあたる年のことです。
干支は年賀状などでもモチーフになるので有名ですが、干支はもともと十干と呼ばれる節目と組み合わせて年や日を表してきました。
干支と十干は合わせると60とおりの組み合わせがあるそうなのですが、「丙」と「午」が組み合わさったタイミングが1966年でした。それで1966年が「ひのえうま」と呼ばれるわけです。
この「ひのえうま」と呼ばれる年(60年周期にめぐってくる)は、災いが起こりやすいと信じられてきました。嘘のような話ですが、こうした迷信が影響して1966年の出生率の低さに影響を与えた、と考えられています。
- 家樹 「戸籍制度の歴史とは?いつから始まったものなのか。」
- 幻冬舎 GOLD ONLINE 「4つの時代ごとに先祖のたどり方が異なる!『家計調査』の基本」
- 関西大学 Reed 「研究最前線No.8 庶民の一生を浮き彫りにする”歴史人口学”」
- 国税庁 「税って何だろう?身近な税金について」
- Zeikin Press 「消費税の歴史と創設の背景」
- 日本経済新聞 「消費税、図解カイセツ あなたの負担は?」
- 彩の国埼玉県 「合計特殊出生率は、どのように計算するのですか」
- 厚生労働省 「令和元年(2019)人口動態統計(確定数)の概況」
- 日本文化研究ブログ 「丙午(ひのえうま)の意味とは?丙午生まれの女性の迷信と出生率減少の理由」