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みなさん、突然ですが
ミュージカルや演劇、それに映画は好きですか?
COVID-19が流行して、演劇の場や映画の場は
みんな、中止になったり、延期になったり
実際に会場に行って、作品を見るということが難しくなってしまいました。
劇場にたくさんの人が集まって、同じ作品を観ることは、COVID-19にかかってしまう可能性を高めてしまうものなあ・・・。劇場を閉めるということは、役者さんや映画関係者の皆さんにとっては辛いことだったと思うが、病気になる人を少しでも減らすことは今は致し方のないことじゃ。
でも、私は思うのです。演劇や映画って、ムダなものに思えるかもしれないけれども、実は、ものすごく、社会科の大切な学びの1つにつながっているんじゃないか・・って。それが一方的に閉ざされてしまうって、今は深刻な問題には見えなくても、後で大変な問題になるんじゃないか・・って。それに、演劇界の皆さんや映画業界の皆さんだって、COVID-19に立ち向かっているエッセンシャルワーカーに「大向う」から応援を送っているのに、閉鎖を求められる期間はあまりに多くなって、今は自主的にただ耐えるだけ・・になってしまっているじゃないですか。子どもたちの学びに演劇や映画がつながるってみんなが気が付いたら、もっと手立てはあるはず・・と思うんです。
※大向うとは・・歌舞伎座の一番後ろの席(とても安い値段です!)のこと。安い席だからといって、あなどってはいけない。歌舞伎を一度見てみようかな、という人だけが来る席ではなく、そこは何度も歌舞伎座に通う人の指定席でもあるからである。「よ!!なりこまやあっ!!」「まってましたあ!!」と、舞台を盛り上げる掛け声をかけてくれる人(大向こうの人々)の存在が、歌舞伎の舞台に華を添えている。掛け声のタイミングにも、熟練の技が存在する。詳しくは、宣伝になってしまいますが、私の母校の大先輩である、山川静夫さんの『大向こうの人々』という本をご覧ください。
たしかに、そうかもしれんなあ。でも、どうやって演劇や映画から社会科の学びにつなげるんじゃ??
ということで、今回は、私が今までやってきた学習法を、皆さんに公開したいと思うんです。私は社会科の教員免許は持っていませんが、演劇や映画を見ることは絶対に、社会科の学びにつながっているって信じて今まで演劇や映画を観てきました。
(いや、単純に、歌舞伎役者の尾上松也さんがイケメン!とか、タカラジェンヌが素敵!とか、ジョン・ウェインの西部劇がサイコー!と思って楽しく観ていただけじゃと思うんだが。まあいいか。)
※ジョン・ウェインさんとは・・古き良きアメリカを代表する役者さん。西部開拓時代(日本の江戸時代の最後から明治時代にかけての頃に、アメリカがどんどん「近代化」されていった時代のこと)を舞台背景にした作品に多く出演し、驚くほどダイナミックなアクションシーンを数多く生み出してきました。駅馬車、赤い河は是非皆さんに一度見てほしい作品です。
演劇や映画を観るとき、是非用意をしてほしいなと思うものがあります。それがこちらの、「アハノート」です。
アハノート!?なんじゃそりゃ。
私が演劇や映画をみるときに、気になった点をまとめたノートです。名前はどうでもよいのですが。昔、アハ体験という言葉が流行ったとき、「知ったあとと前では、世界が変わる」ということを体験して、アハノートという名前にしました。そのノートの内容を、本日一部公開します!じゃ~ん。
これは、私が昨年、宝塚の「壬生義士伝」を見に行った後に書いたアハノートなのですが。劇を見ているうちに、(1)南部盛岡とはなんぞや?(2)劇の中で何度も突然歌われていた、「東に遠く早池峰山、南にそびえる南昌山、西のお山は岩手山、北のお山は姫神山、くるりを山に囲まれて城下流れる中津川とは何ぞや!?(3)キーフレーズとして登場する南部の石割桜ってなんじゃい?と思ってGoogleや図書館の本でサクッと調べてメモしたものなのです。もちろん、いつ観劇したかを忘れないように、チケットも一番下に貼っています。こうやって学んだ雑学ともいうべき社会科の学びは、例えばですが、同じ社会科の企画「社会:日本全国、おいしい食べものめぐり(4)~岩手県~」の前提知識になってもいます。
ただ宝塚をぼーっと観ているわけではないんじゃのう。
そうなんです。宝塚の舞台の歌って、みんなが口ずさみやすいようにできているのか、やたらと覚えやすいんですけど、歌詞に関しては時代背景を知っておくともっと楽しめることが多くって。もちろんこれは、宝塚に限らず、歌舞伎だってそうだと思いますし、文楽や映画も、作品を見てみて「ホントにそんなことあったのかなあ?」とか「このシーン、ちょっとよく分からなかったんだよなあ」と思うことってあると思うんです。そういうときに、周りの人(多くの場合は、劇場に通っている常連さんや周りの映画ツウの人)に聞いてみたり、自分で歴史を調べてみるって、知らず知らずのうちに社会の勉強になっていると思うんですよ。
言われてみれば確かに、映画を観終わったり、演劇を観終わったあとに、友達と一緒にカフェに入って感想を言い合う時間というのも、あまり意識はしてこなかったが、学びの時間と言えるのかもしれないのう。人それぞれ、気になった点は違うし、それをみんなが直接意見交換をして、「ああでもない、こうでもない」と自分の意見を展開する自由な時間というものも、芸術の楽しみなのかもしれんのう。
そうそう。私は、実はそんな時間があることこそ、芸術は学びだと言っていいって思うんです。議論しあうことで、同じ作品を見ていても、人によって思うことや、見るポイント、こだわりを持つ部分は違うんだなって感じることができますし。これって、社会科の学びを考えたときに、「歴史をどのようにそれぞれが解釈するか」という重要な観点にもつながると思うんです。
社会科の学びの入り口に、芸術作品がなっているということなんじゃな。
そう思います。ですが、5月になった今、そうした芸術にみんなが触れることのできる機会というものが減りつつあると思うんです。例えば、演劇に関しては4月末までは松竹株式会社さんが完全なる善意で、歌舞伎をYouTubeで無料配信をして下さっていました。また、海外ではブロードウェイミュージカルを無料でYouTube公開する取り組みも5月のはじめまではありました。しかし今、文楽と宝塚が一部のコンテンツを無料で開放しているのみで、全ての動画をみんなが観れる場所はありません。もちろん、演劇で生活をしている人たちにとっては、今まで自分たちが作ってきた作品を、タダで提供するというのは難しいことだと思います。いつまでも、無料で演劇や映画を観れるというのは、会社の都合もあると思います。それでも、こうした芸術は学びにつながっているのだという視点から、私たち大人が本当は、議論をすべきなんだと思ってもいます。
演劇や映画、芸術が学びにつながっていることを、もっと多くの大人に気が付いてほしいものじゃな・・・。