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みなさん、こんにちは。H松です。少しずつ、日本でも医療に関わっている人たちに「ありがとう」と伝える雰囲気が広まってきましたね。今まで言われていなかったことなのに、ほんの少し時間が経つと、みんなが言うようになる。ふしぎですよね。でもそうやって、「歴史」は作られていくんだと思います。社会の教科書では、時代を大きく動かした人を学べますが、実際の社会はそんな人たちに加えて、その人たちの想いに応えて、行動を起こしたたくさんの人たちがいたのです。エッセンシャルワーカーにありがとう、とインディゴブルー(藍色)のリボンを結ぶことも、一つの歴史をつくっているのですよ。
今回は、少しずつ広まってきた感謝の想いを伝える雰囲気について、「エッセンシャルワーカーの歴史」と題してシリーズでご紹介したいと思います。みなさまが感じた疑問を、何回かに分けてお答えしていきます。
エッセンシャルワーカー、という言葉はいつ生まれたの?
今までエッセンシャルワーカーをご紹介してきましたが、「そういえばいつ、エッセンシャルワーカーという言葉が世の中に生まれたのだろう?」と気になったみんなもいるかもしれませんね。実は、私も気になって、Google(インターネットでいろいろな情報を探せるサイトです)で検索してみたり、論文(学者という職業の人が魂を込めて書いているものです!)を探してみたりしました。「Essential workers(エッセンシャルワーカー)」と入力して、一番古いものを探す旅をしてみたのです。
すると、「へえ~~!」と思わず思ってしまうことが分かりました。
わかったこと
H松の調べでは、なんと、エッセンシャルワーカーという言葉が初めて使われたのは、1994年にカナダのオンタリオ州の保健所で研究者をしていたスーザン・タンブリンさんが書いた「カナダで感染病が流行したときの計画(もともとの英語のタイトル:Pandemic planning in Canada)」という論文でした。
2020年の今は、COVID-19(新型コロナウイルス)が流行ったことでエッセンシャルワーカーという言葉をだんだんとみんなが口にするようになっているわけですが、最初にエッセンシャルワーカーという言葉ができたときも、今と同じように感染病の危機にみんなの社会が直面していた背景があったのです。
スーザンさんが書いた論文には、
(1)1976年のアメリカで豚インフルエンザの流行があったとき、とにかく全員にワクチンを打たなければ!という運動が起こり、その運動がアメリカのお隣のカナダにも広がったこと。
(2)しかし、カナダに住んでいる全員にワクチンを打ってもうまくいかなかったこと。
(3)その失敗を活かして、また同じように感染病の大流行が起こったときの計画をこれから立てていくべきだということ。
(4)国に住んでいる人全員にワクチンを打つのではなく、お年寄りや病気がちな人、そしてエッセンシャルワーカーの人たちに優先してワクチンを打つべきなのではないか?
という考えが書かれていました。なんだか、今の状況に通じるものを感じますね・・・・。
全員にワクチンをいきわたらせるにはワクチンがたりない、それならどうするか・・?という今後の解決策を考える議論の中でエッセンシャルワーカーという言葉は生まれてきたようです。
ちょっとよりみち。の補足
上のサイトの情報によると、1976年の豚インフルエンザ問題は、アメリカで1人の兵隊さんが突然感染し、すぐにお亡くなりになってしまったことから始まったのだそう。その後、その兵隊さんの仲間500人以上が豚インフルエンザに感染していることがわかり、「昔はやったスペイン風邪(世界中で1億人以上が死んでしまったとてもひどい風邪です)」と同じようになるのでは!?との不安から、そのときに効果があるとされていたワクチンをなにがなんでも、国民全員に!という運動が起こったのだそうです。
でも、たくさんのお金をかけてたくさんの人にワクチンをがんばって打ったにも関わらず、今後はワクチンの副作用(薬を作った人が望んていなかったこと)で30人以上の人が亡くなってしまった・・。けっきょく、豚インフルエンザで亡くなったのはその兵隊さん1名だったのに・・・。という、苦い経験がアメリカにはあったのだそうです。
そんな苦い経験があったからこそ、ワクチンに対して、
安全かどうか?本当にその人に必要なのか?を確認する議論が生まれたのかもしれませんね。