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寒露
さて、寒露。これは、10月8日ごろを指す二十四節気の一つです。
秋分から数えて15日目ごろを指します。
二十四節気については、「きせつめぐり、ことばめぐり 長月」でも紹介しています。
よかったら見てみてくださいね。
自然の観察に基づいて、季節の節目節目に名前を付けたのが二十四節気ですが、この「寒露」は何を意味するのでしょうか?
寒露とは、晩夏から初秋にかけて野草に宿る冷たい露のことだとか。
秋の長雨が終わり、本格的な秋の始まりを示すころ合いです。
空気も澄んで夜空も綺麗。やっぱり月を眺めるにしても、本当にいい季節、ということなのですね。
寒露のころの「旬の食べ物」には‥‥
・ スダチ
・ 梨
・ 栗
・ マツタケ
・ さんま
・ 柿
・ 銀杏
・ りんご
があります。
お腹がすいてきちゃいますね~
コスモスも綺麗に咲いて、金木製の香りがやさしく漂う季節でもあります。
茶の花(チャノキ)がキレイに咲くことでも有名です。
えびす講
えびす講‥‥。
先ほど、神無月の神様が出雲大社に出かけるときにお留守番してくれる神様がいるとお話ししましたが、そのなかのおひとりにえびす様がいました。
そのえびす様を祀って、商売繁盛を願う行事です。
えびす様とは、七福神の一つ。
狩衣・指貫・風折りえぼしをつけ、右手につりざお、左手に鯛を抱いた姿をしています。
商売繁盛を願う神様…ということで商家の神様と呼ばれていますのですね。
一方、農村では豊穣の神様、
漁村では豊漁の神様として信仰されてきたそうです。
【狩衣】
平安時代に男の公家が常用した略服。衿が丸く、袖にくくりがある。わきは縫い合わさず、下に指貫を着る。江戸時代には、模様のあるもので作り、礼服とした。もと、狩りのときに着た。
【指貫】
平安時代、衣冠・直衣・狩衣を着るときにはく、はかま。すそがひもでくくれる。
【えぼし】
奈良時代から江戸時代まで広く使われた、男子の袋状のかぶり物。もと黒の紗で作ったが、のち紙で作り、うるしで塗り固めた。立てえぼし・風折りえぼし・もみえぼし・引っ立てえぼし・さむらいえぼし等がある。
実は、このえびす講、地域によって開催日が異なるようで、1月10日、10月20日、11月20日などに開催されているようです。
関東地方では、10月20日に行われることが多く「二十日えびす」と呼ばれるとか。
関西地方では1月10にち行われ、「十日えびす」と呼ばれます。
えびす講の日、農村部では前夜祭として「宵えびす」が行われ、尾頭付きの魚やそば、けんちん汁などをお供えしたり、
大小二匹の鮒を供えたり、自宅の井戸に放す地域もあるそうです。
関西地方では「誓文払い」といって、商売上の罪滅ぼしを祈願する参拝が行われてきました。
これがそののち、大売り出しの風習につながった、という説もあるそうですよ。
そもそもこのえびす講、他の神様に置いていかれてお留守番になったえびす様をなぐさめる目的で始められた、という説もあるそうです。
なんだか、神様とも仲良しですね。
秋の土用
「土用」とは陰陽五行説にもとづいて設定された季節の変わり目の数日間のことを指します。
陰陽五行説では、この世のあらゆるものを木・火・土・金・水の5種類に分類して当てはめて考えるのですが、季節ももれなくその対象となり、
春は木、夏は火、秋は金、冬は水とされています。
そして土用の「土」が、各季節の終わりの約18日間を指していたのです。
つまり、1年間で「土用」は4回めぐってくる、ということ。
そして今回取り上げる「秋の土用」ではどんなふうに過ごされるのでしょうか。
ちなみに、この土用については、
フネで旅する漢字の海原シリーズ⑤ 夏のおさかな天国の中で詳しく紹介しています。
「土用」は季節の変わり目の時期です。
体調を崩しやすい時期でもあります。
なので、栄養のあるものを食べることが薦められています!!
例えば、青魚。定番はサンマです。
「秋土用」は辰の日に「た」がつく食べ物もよいといわれるそうです。
例えば、玉ねぎやダイコン…。
また、土用の日は土いじりや新しいことはしないほうがよい、と言われてきたそうです。
迷信のようにも思えるかもしれませんが、
季節の変わり目で体調を崩しやすい時期だからこそ、
大きな動きはせずに穏やかに、そして栄養のあるものを食べて過ごしましょう、
という知恵が定着したとも考えることができますね。
霜降
十月の二十四節気、二つ目です。
時期としては、だいたい10月23日ごろを指します。ここから立冬までの期間が霜降です。
そして、立冬までの間に吹く寒い北風のことを「木枯らし」と呼びます。
露が冷気によって霜になって降り始める…というところから霜降と呼ばれるのですね。
【霜】
空気中の水蒸気が、夜間、冷えた地面や物体に触れて、その表面に結晶したもの。
また、冷蔵庫内にできる氷の結晶。
現在、普通には霜が「おりる」というが、昔は「降る」「置く」といった。
秋が一段と深まり、朝霧がみられる頃。
朝晩の冷え込みも厳しくなり、日が短くなったこともますます実感されるようなころあいです。
紅葉も美しくなる時期ですね。
暮らしのほうも少しずつ冬支度を始めます。
コートをだしたり、こたつを準備したり…。
少しずつ冬に近づいていくこの季節もなかなか素敵です。
時代祭り
時代祭りとは、葵祭、祇園祭と並ぶ「京都三大祭」のひとつ。
京都平安神宮の大祭です。
平安神宮の創建と平安遷都1100年を奉祝する行事として、1895年(明治28)に始まったそうです。
第一回目は10月25日に開催されましたが、翌年以降、桓武天皇が794年(延暦13)に長岡京から平安京に都を移した日を「京都の誕生日」として、10月22日に開催されるようになったそうです。
時代祭りとは、その名前のとおりで、各時代の京都の繁栄を行列を組んで再現していくものです。
京都に都を移した桓武天皇と孝明天皇にお披露目することが目的のようです。
行列は明治維新から始まり、
次いで江戸、安土桃山、室町、吉野、鎌倉、藤原、延暦…と8つの時代を
20の列、牛や馬を含む総勢2000名で構成して、約2キロの長さにもなる行列だとか。
そして、京都御所から平安神宮までの約4.5キロを4時間近くかけて練り歩くのだそうです。
各時代を象徴する衣装や祭具、調度品は、綿密な時代考証を重ねられていて、1万2000点にもおよぶそう。
桂小五郎や西郷隆盛、織田信長といった歴史の教科書に登場する人物に市民が扮して、行列するのだそうです!
衣装やヘアスタイルももちろん正確に再現されています。ファッションショーみたいですね!
ううむ…。
怒られてしまうかもしれませんが、現代のコスプレ文化に通じるものがあるような気がします…。
でも、京都を彩る各時代の特色を大切に、紹介してくれるお祭りになっていて、京都の誇り高さを感じることができますね。
実際に、衰退していた京都の復興を目指す一大事業であったともいいます。
見に行ってみたい!
下のホームページでは実際に時代祭りの行列がどのようなルートで移動するのか、
行列の順番や内容、見所などが紹介されています。
十三夜
みなさんの多くは、「十五夜」は聞いたことがあるかもしれませんが、「十三夜」はいかがでしょうか?
十三夜とは、旧暦で毎月13日の夜のことを指し、特に旧暦で9月13日のことを意味しています。
十五夜の満月の次の満月のことを指す場合が多いので「後の月」とも呼ばれるのですね。
十五夜は新月から数えて15日目で満月、もしくは満月に近い月。
十三夜は、新月から数えて13日目で満月には少し欠ける月なのだそうです。
実際に十五夜と十三夜のころの月をみてみましょう。
2020年の十五夜は10月1日、十三夜は10月29日のころを指します。
なぜ十五夜のことも触れるのか、というと、十五夜と十三夜、両方のお月見をすることがよしとされ、どちらか一方の月しか見ないことは「片見月」と呼ばれ、縁起がよくないともいわれたそうです。。
十五夜と十三夜の二つを合わせて、「二夜の月」」とよぶそうです。
十五夜は収穫した芋を供えることから「芋名月」といい、
十三夜は栗や豆の収穫の時期なので「栗名月」「豆名月」といいます。
もともと十五夜は中国唐代の観月の宴が起源とされていますが、実は十三夜は日本発祥。
諸説あるそうですが、平安時代に書かれた「躬恒集」の、延喜19年9月13日に醍醐天皇が月見の宴を催し、詩歌を楽しんだという記述があるそうで、これが十三夜のお月見の始まり、とする説があります。
また、平安時代後期の「中右記」には、長承4年(保延元年)9月13日の月見の宴で、寛平法皇(出家後の宇多天皇)が「今夜名月無雙」と詩を詠んだと書かれています。
「今夜の名月は並ぶものがないほど優れている」と詠んだのですね
実際に十五夜のころは、台風などの影響できれいなお月さまがみれないこともあるのですが、
十三夜のころは空気も澄んで夜空がきれいにみえることも多いことから、「十三夜に曇りなし」ともいわれます。
日本では十三夜も美しい、とされてこの夜もお月見することになり、
江戸時代のころには庶民の間にもその風習が広まったのだそうです。
月を愛でて、みんなで空を見上げて過ごす習慣があったのか、と思うとなんだか穏やかな気持ちになりますね。
10月、といえばハロウィーンを連想する方もいるかもしれませんね。
ハロウィーンについては、「おばけのはなし」の中でも紹介しているので、よかったら見てみてくださいね!