発達障害入門&人とかかわるために

さんかくすと文がえます

演者えんじゃのご紹介しょうかい

吉村 麻奈美 先生 

津田塾大学学芸学部国際関係学科 

講演内容こうえんないよう

 前半では発達障害、とくに、大学において自閉症スペクトラム障害の人たちが一体どのように困っているか、ということを中心にお話しします。
 後半は、IESでボランティアを行う場合を含め、人とかかわる際に考えて欲しいことをお話しします。

ご講演のご報告

当日は、発達障害、特に自閉スペクトラム症(Autism Spectrum Disorder: ASD)を中心にお話いただきました。女子大生のASDの特徴、そしてASDを理解するうえで配慮できるとよいポイント、対人援助者として気を付けることなど盛りだくさんの内容を学ぶ機会となりました。
ワークショップなども実施するなど、自分自身を振り返る機会としても時間を過ごしていただけたのではないかと思います。

※ 以下は、吉村先生が当日提示してくださった資料を基に、ダイジェストさせていただいたものです。

「発達障害」について

「発達障害」と呼ばれるものが、Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorder;DSMと呼ばれる診断基準でどう定義されてきたか振り返ってみるところからお話は始まりました。

 

特に今回注目したのは、自閉スペクトラム症(Autism Spectrum Disorder: ASD)
DSM-5という版からは、「スペクトラム」(連続体)、つまり、健常と障害の境界はなく連続していて、全ての人間が発達の凸凹スペクトラムの中にいるという考え方となりました。

それはそれで大きな変更だったのですが、一方で、そのように診断名や診断基準とはどんどん変わっていくもの。
診断名にとらわれず、目の前にいる「その人がどのように困っているか」という点に着目することが最も大事である、と吉村先生は考えているそうです。

 

ASDの傾向が強い人には、
・ 社会の中で周囲の人と波長を合わせて行動することの困難さ
・ 場に応じた表情や態度、言葉を使って他者と関わりあうことの困難さ
があるのだそうです。

が、それはつまり一体どういうことなのか?ということを具体的な例を出してさまざまにご紹介いただきました。

感覚の違い
 エアコンや時計の音などが気になり、気が散る
 蛍光灯がまぶしくて、目がつらい
 シャワーが肌に刺さるようで痛い
 ボタンやジッパーが皮膚にあたるのが気持ち悪くて着られない

 

これらはあくまで例であり、ASDの人の中でも個人差があります。

そして各々が持つ感覚の違いは、外から見ることが難しいし、そして、その「困り方」も多様である、ということをご紹介くださいました。

 

女子大生におけるASD

女性のASDは「見えにくい」ということが指摘され始めているそうです。
その背景として指摘されていることを、川上ちひろ・木谷秀勝編著『発達障害のある女の子・女性の支援』から紹介してくださいました。

■ 発達障害の男性に特徴的な行動等を中心にした診断基準や対処法が研究されてきた
■ (男性よりも)友達関係を作る能力が高い、多動/衝動性や素行上の問題が少ない一方で不安や抑うつなど内在化障害が生じやすい
■ 行動上の問題が少ないがために、支援が遅れる可能性がある

 

K原さん
K原さん

「思春期以降の女性の世界」として、紹介されていましたが、確かに「あるある」だなあと思いました。
女子会やガールズトークが盛り上がる、というのは女性特有の文化、なのかもしれないですし、恋愛やファッションなどの会話のトピックスが盛り上がったりすることもありますよね。

H松
H松

「大学」という場所も、
一定の時間に同じ教室にいけばよかった高校との違い、
構内が広い、人が多い、などの大学ならではの特色があって、それが、「困り感」につながっている可能性をご紹介くださいました。

 

支援にむけて

その人がどんなふうに感じているのか、困っているのか―ヒントとしてご紹介くださったのが、「A:B=C:Dの視点」という考え方です。

 

何を苦痛と感じるか、困難と感じるか、は人それぞれです。

例えば「エアコンの音がうるさくて集中できない」と聞いて、自分がそうではない場合、「うるさくないから気にするな」と言いたくなる人もいるかもしれません。

ですが、そういう時に相手がどう感じているかを想像するヒントとして、
「自分にとっては、隣に音漏れをしている人がいるようなものかな」と、自分に置き換えて感じてみるのはどうでしょうか。

他者を理解することは、とても難しいものです。同じ感覚を持つことはできませんが、理解しようと努力することなら、できるかもしれません

 

「理解しようとする」ということが支援の第一歩で、
理解者がいるということで安心感を得られる、ということをご紹介くださいました。

 

対人援助者となるために

心がけておくべきことを整理してご紹介くださいました。

1.「特別な誰か」に対する「特別なサービス」をしているわけではない
障害学生支援は、本来得られるべき情報を補うもの。
相手の自立を妨げることなく、行き過ぎたサービスにならないようにする必要性。

2.平等であること
利用者同士が平等であること。
話しやすい相手にだけサービスが偏らないようにすること。

3.中心にいるのは利用者
良かれと思って勝手に進めず、迷ったら本人の意思を確認すること。
困難を客観的かつ共感的に理解していけるとよい。

4.こちらの心身もなるべく一定であること
援助者が余裕がなかったり、大変そうであると、利用者が遠慮してしまうことがある。
できる限り安定的であるように、そのための休息も大事。
仕事上の困難はなるべく仲間でシェアできるとよく、援助者がバーンアウトしないことが、利用者にとっても大切。

5.自分自身の対人コミュニケーションの傾向を知ること
自分自身の「話し方の特徴」、「苦手な相手の傾向」、「何に対して大きな反応をしやすいか」等、対人パターンを知っておくことは、相手にとっても自分にとっても役に立つ。

 

M先生
M先生

この「5.自分自身の対人コミュニケーションの傾向」を知るためのワークを当日は実施してくださったりしました。

感想や質問などのご紹介

質問

質問1.

いわゆる健常者の皆さんは、どうやって暗黙の了解を掴んでいるのでしょうか。

当日はうまく答えられなくて、申し訳ありませんでした。この問いに答えられないことは、このような講演をする上でとてもよろしくないと反省し、その後、考えてみました。
「どうやって」の説明がとても難しく感じたわけですが、この部分はおそらく、自閉症の研究者であるバロンコーエンのいう、”Folk psychology”の領域の視点(他人の心の理解と関連する)が発達障害の人は発達しにくい、という話と重なります。つまり、「暗黙のルールを理解する」ことと「他人の気持ちを理解する」ことと「場の空気を読む」ことは、おそらくかなり近い領域の能力が使われているだろうということです。
発達障害の方は「暗黙のルールを理解することが苦手」ではあるけれど、つまずきやミスをきっかけに、あるいは誰かから教えられて、等々、具体的な事象を通してひとつひとつ理解したり、乗り越えていったりすることはできると思います。少し時間がかかってしまうけれど。一瞬でプリントを丸暗記できるような能力を持つタイプの発達障害の人から見たら、何十分も何回もかけてプリントを暗記する健常の人を「遅い」と思うかもしれませんが、そんな風に凸凹している箇所が異なるのだ、とも、いえると思います。
視覚的に一瞬で丸暗記できる人に、「どうやって暗記したの?」と聞いても、やはり「どうやって」には、答えられないのではないでしょうか。脳内の情報処理過程にある、結びつきやすさや結びつきにくさが先天的に異なっていることが関係していそうです。
というわけで、やっぱり「どうやって」には答えられませんでした。しかし、その処理過程を詳細に解き明かしていくことには、興味があります。もう少し勉強してみます。

質問2.

世界にはハイコンテクストとローコンテクストの文化があると思います。日本とローコンテクスト、西欧はでハイコンテクストが主。そこでハイコンテクストの文化圏では、「暗黙の了解が分からない」が、ASDの特徴として認識されない場合もあるのかと気になりました。

(前提として、日本=ハイコンテクスト、西欧=ローコンテクスト、では?と思いつつ)私自身留学等の経験がないため、伝聞や推測で書くことになるのですが…、まず、日本でのコミュニケーションで困りごとが生じやすい発達障害の方が、海外にいるときは楽だったという話を聞くことがあります。日本語での作文をとても難しいと思う発達障害の方が、英作文の方が書きやすいとおっしゃる場合もあります。これらは、日本語(と日本文化)より英語(と欧米の文化)の方が曖昧さが少なく、発達障害の人にとって運用しやすいのではないか、という仮説につながります。
では、西欧では「暗黙の了解がわからない」ことで困る人は少ないのか?というと、どうもそうでもないようです。『自閉症スペクトラム障害のある人が才能をいかすための人間関係10のルール』という本があります。これはアメリカ人の当事者によって書かれた本で、暗黙のルールがわからなくて困った経験から、自分なりに柔軟なルールに組み替えていく過程が、詳細に書かれています。

質問4.

私は中学生の時、吹奏楽部でパートリーダーをしていたことがあり、その時に同じパートに発達障害の子がいたのですが、今でもどうしたら良かったのか分かりません。吹奏楽は団体戦のようなところがあるので、練習をあまりしない彼女は周りからも良く思われておらず、数ヶ月で部活を辞めてしまいました。今日のお話を聞いて、彼女もきっと蛍光灯の光が眩しかったり、部室にいるだけで疲労を感じていたりしたのかもしれないということを初めて知りました。私は一度彼女を叱ってしまったことがあり、今でも後悔しています。私たちは彼女にどう接していけばよかったのでしょうか。

発達障害といってもその特性も困り方も人によって違うので、その方が、どのような困難を持っていたのか、部室の環境刺激の何かがしんどかったのか、部内のコミュニケーションの何かがしんどかったのか、今となってはわかりません。それに、もしかしたら違う理由で辞めたのかもしれません。
この質問者の方が、どのようにその人を叱ったのかわかりませんが、もしも繰り返し行なった注意点を守ってくれなかったり、常識的によくないこと(誰かを傷つけるような言動をしたとか、決められたルールを破ったなど)をしたり、という経緯があるのであれば、それは、叱ることもやむを得ないのではないか、と思います。
もしも、今後似たような状況に出会ったなら。発達障害であるとわかっている場合には、今度は、どういうときにしんどさや、困難を感じるのかをじっくり聞いてみてもいいかもしれないですね。あるいは、何かコミュニケーション上でわかりにくいことがあるようだったら、「通訳」を買って出てもいいかもしれません。注意したくなる場面があるとしたら、「それはダメ」と言うだけでなく、なぜダメなのかを論理的伝える、「こうしよう」と改善案を添えるなどのプラスアルファもあった方が良いです。
…もしかしたら、どれもやっておられたことかもしれませんが、ご質問を読んで思ったことはこのような感じです。

質問5.

発達障害とHSPは似ている所があるように感じたのですが、HSPは発達障害の一部ですか?

HSP(敏感すぎる人)は、ここ数年で話題になってきている言葉ですね。HSPと発達障害の感覚過敏は、共通するところがあるように思います。しかし、トラウマティックな経験があるとか、ストレスにさらされ続ける環境にいた、といったような、環境要因で後天的にHSPとなる場合もあるように思います。ですので、「発達障害の一部」ということにはおそらくなりません。

感想

発達障害について話を聞いたり学んだことはありましたが、その中でもそれぞれ人によって抱えている事情がこんなにも違うということは初めて学びました。同じ環境の中でも人によって感じ方が異なるということで、自分基準で発言したり行動することには注意が必要だなと感じました。また、自分の思う当たり前が誰しもに通じるものではないということは分かっているようで、無意識のうちに示してしまっていることが多くあるなと感じました。だからこそ、今後人と接する上で意識していきたい部分だなと改めて感じました。

障害のある人にとって生きやすい世の中は、健常者にとっても生きやすい世界だと聞いたことがあります。これは身体の障害に限らず、発達障害にも当てはまることだと思いました。この講演をきっかけに、感覚や認識に関わるバリアフリーについても考えてみようと思いました。

発達障害をもつ人にどう支援するべきかについて、人との関わり方について学んだ。発達障害に境界線を引くのは難しく、障害の名前を知るよりもそれぞれの人が、何に困っていて何が必要なのか考えるべきであると思った。障害という見える形で表れていない場合も、人と関わる上で大切な視点であると思った。相手に共感するために置き換えて考えてみることも良い方法であると思った。また自分がどのような影響を与えているかについて知ることで、より良い形で支援できるようになるのではないかと思った。

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生活や学びに関する質問部屋のちらし
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