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9月
「長月」とも言われるのが9月。
なぜ、そう呼ぶのでしょうか??
どうやら由来には諸説があるそうです。
いずれも「長くなっていく」ことに関連していそう。
何が長くなっていくのでしょう??
一つは、日が昇っている時間がどんどん短くなり、夜が長くなることから「夜長月」と呼ばれ、それが略されるようになった、という説です。
実際に、私も、同じ時間帯でも7月ごろと比べて、暗くなるのが早くなったなあ、と感じてしまうことが多いです。
「秋の日はつるべ落とし」ということわざもあります。
“つるべ”とは、釣瓶と書きます。
釣られた瓶…水を汲むために竿や縄の先につけて、井戸の中に下ろす桶のことです。
この釣瓶が井戸に滑り落ちるように、秋の日は一気に日があっという間に暮れてしまう、ということを意味します。
この夜の時間が長くなってくることに由来して、
9月は「寝覚月」と呼ばれることもあるそうです。
夜が長くなるから、まだ暗いうちに目が覚めてしまう、ということによるようです。
他の説には、稲穂が最も長く成長する時期なので「穂長月」と呼びそれが略されたという説や、
稲刈りの時期なので「稲刈月」と呼び、それが次第に「ねかづき」‥‥「ながづき」と変化したという説もあるようです。
このあたりは「食欲の秋」ともいわれる由縁と大きくかかわっていそうですね!
ただ、実は冒頭でお話しした旧暦から新暦へと変わった経緯がありますので、
この長月が新暦のいう10月ごろを想定していることに注意してください。
重陽の節句・菊の節句
9月は本当にいろいろな呼び方があるようですね。
上で説明した以外にも、木葉が紅葉し色どる月であることから、色どり月と呼ばれたりしています。
そして、菊咲月、菊開月など、菊の花が美しく咲く季節にちなんだ名前も多くあります。
実は旧暦の9月9日は菊の節句としても知られているのですね。
(現在でいうと10月中旬のころを指します)
菊の節句は、重陽の節句とも呼ばれています。
この季節のお祝いは、平安時代のはじめに中国から伝わったといわれています。
古来中国では陰陽思想に基づいて、
奇数を縁起のよい「陽数」と呼び、偶数を「陰数」と考えていたとのこと。
「陽数」の最大値である「9」が重なる9月9日は「陽数が重なる」という意味で「重陽」と呼ばれ、お祝いされるようになったのです。
この時期に美しく咲く菊の花には、邪気を払い長寿の効能があると信じられてきました。
そんなわけで重陽の節句には菊の花が用いられることも多く、「菊の節句」とも呼ばれるにいたります。
今は重陽の節句、菊の節句を楽しむ、ということはあまりされていないかもしれませんが、菊の香りを移した「菊酒」を飲んで邪気を払い、無病息災や長寿を願ったといいます。
菊酒‥‥飲んでみたい…!
菊酒は、蒸した菊の花びらを器に入れ、冷酒を注ぎ一晩おいて香りを移して作るそうです。
現代では、菊の花びらを散らした盃に冷酒を注いで飲むことが多いそう。
李白の詩
中国から伝わってきたという「重陽の節句」。
漢詩で有名な李白も重陽の節句について詠んでいます。
「九日龍山飲」(九日龍山に飲む)
九日龍山飲(きゅうじつ りょうざんにのむ)
黄花笑逐臣(こうか ちくしんをわらう)
酔看風落帽(よいてはみる かぜのぼうをおとすを)
舞愛月留人(まいてはあいす つきのひとをとどむるを)
李白は、中国古代の二大詩人としても名高い人で、国語の教科書にも必ずと言って登場する詩人です。詩の仙人―詩仙とも呼ばれた人物です。
ですが、「えらい人」という人物像?からはかけ離れ??、
「「エライ人」どころか「人生の落後者」に近い、生きていたときに栄光や高い地位にあずかることなく、むしろ人から嘲笑や軽蔑を受け、最期は困窮の中で亡くなっている人」
であったとも指摘されているようです。
一方で、
「玄宗朝に一時仕えた以外、放浪の一生を送った。好んで酒・月・山を詠み、道教的幻想に富む作品を残した」
ということでも知られます。(デジタル大辞泉より)
上の「九日龍山飲」という漢詩が、まさに重陽の節句の菊酒について触れているとおり、
李白はお酒好き!ということでも知られていました。
当時の有力者が評価する詩というのは、ただの感性で書く詩ではなく、
膨大な古典の知識に基づいて韻律を守って書かれる格調高い詩のことだったそうです。
この知識こそ当時科挙合格の前提でもありました。(でも李白は科挙を受験していないよう)
李白は詩人として名をあげたことで、朝廷に迎え入れられることになるのですが、あまりうまくいかず、たった2年で辞めさせられてしまいます。
その後は、食客として地方の有力者を訪ねて転々とし、
後年は戦争で従軍作家として詩を書くことが求められますが、結果として戦争に敗れ、
逆賊として扱われて危うく僻地に流されてしまいます。
その後許されるのですが、62歳で亡くなったといわれています。
亡くなった時のエピソード…
舟に乗ってお酒に酔って、水上に浮かんだ月があまりに美しいので、つかまえようとして、捕まえ損ねてそのままおぼれて死んでしまった
も有名です。
(本当にそのような亡くなり方をしていたかは分かりませんが、「李白らしい」ということで有名になったエピソードです)
詳しく李白の人生が紹介されています。
「九日龍山飲」の詩の意味を敢えてご紹介はしていませんが、
なんとなくこうした李白のお酒好きで自然を愛し、でも宮廷を追われる人生を送った、というエピソードと
重陽の菊酒を飲む節句を考えてみると、
詩を構成している漢字から、なんとなくこの詩が持つ世界観やイメージを連想できるような気がします。
もう一度、改めて李白の詩をみてみましょう。
「九日龍山飲」(九日龍山に飲む)
九日龍山飲(きゅうじつ りょうざんにのむ)
黄花笑逐臣(こうか ちくしんをわらう)
酔看風落帽(よいてはみる かぜのぼうをおとすを)
舞愛月留人(まいてはあいす つきのひとをとどむるを)
重陽の節句は、
ほかにも「栗ご飯」を食べたり「茄」を食べたりすることもあるようです。
お酒を飲めるのは20歳以上から!
それまでは栗ご飯や茄などをおいしくモリモリ食べましょう~!
さすが食欲の秋♡