第10回『山月記』(S)

さんかくすと文がえます

本日の紹介者

Sさん
Sさん

こんにちは、国語のナビゲーターを担当しているSです。ブックリレー・11回目は私が担当します!

M先生が前回紹介(しょうかい)していた「舟を編む」ですが、私は題名と「辞書(じしょ)を作る」という大まかなテーマしか知りませんでした。しかしM先生の熱いレビューと考察(こうさつ)を読み、小説(しょうせつ)を読んでみたい、もしくは映画やアニメを見てみたい気持ちがわきました!言葉に囲まれながら日々生きていく中で、実は意味や読み方が辞書(じしょ)で示されたものと微妙(びみょう)に変わってきてしまっている言葉は身の回りにかなりあると思います。最近知ったのは「一段落つく」という言葉の「一段落」は「ひとだんらく」ではなく、「いちだんらく」と読むという事実です…!こういった発見ができるのも辞書(じしょ)魅力(みりょく)かもしれませんね。ちなみに私自身は、高校で使用する国語辞典選びのために本屋を三軒(さんけん)巡り、数多くの国語辞典から自分に合うものをひたすらに探した経験があります(笑)そして見つけた究極(きゅうきょく)の一冊は、学研教育出版から2012年に出版された「学研現代新国語辞典改訂第五版」です。サイズ感とフォントの読みやすさと、用例の豊富(ほうふ)さに心ひかれたのですよね…(なつ)かしいです。皆さんの「推し辞書」も気になります…!


さて、私が今回ご紹介(しょうかい)させていただく本は、中国が舞台の一冊…「山月記」です!

山月記

著者ちょしゃ:中島敦

サピエ 点字てんじデータ:あり サピエ デイジーデータ:あり

出版社しゅっぱんしゃ:新潮社

出版年しゅっぱんねん:2003

ISBNコード:978-4-10-107701-7

概要

中国の古典を取材(しゅざい)し、昭和前期に活躍(かつやく)した小説家、中島敦(なかじまあつし)によって1941年に発表された日本文学の名作です。

物語の舞台(ぶたい)科挙試験(かきょしけん)(上級役員になるために必要な試験。現代の公務員試験のようなもの。)が盛んに行われていた700年代の中国。有名な詩人になるという夢を叶えられず、周囲(しゅうい)の人々に劣等感(れっとうかん)(いだ)き続け、思い(なや)んだ結果「(とら)」と姿を変えてしまった主人公の「李朝(りちょう)」。そんな彼と偶然(ぐうぜん)山の中で遭遇(そうぐう)した、役人時代の親友「袁傪(えんさん)」は、李朝のこれまでの生き方に耳を傾けます。

本との出会い

私はこの本に、高校の現代文の授業で出会いました。現代文の授業では、評論文を読むことが多かったため、「授業で小説が読める!」と喜んだ記憶があります。

唐の時代の中国において書かれた伝奇(でんき)小説「人虎伝(じんこでん)」を素材(そざい)として中島敦(なかじまあつし)が書き上げたこの作品は、700年代の中国が舞台(ぶたい)ということで少々古めかしい雰囲気(ふんいき)(ただよ)う作品でありつつも、(とら)となってしまった李朝(りちょう)の心の葛藤(かっとう)に現代人の私も、時代を超えて共感できる作品でした。最近、大学で日本文学の授業を受けてからもう一度読み直し、作者自身の葛藤(かっとう)が作品に反映(はんえい)され散りばめられていたのだと感じました。今でも落ち込んだり、周りと自分を比べてしまったりした時、李朝(りちょう)の言葉が脳内(のうない)(ひび)いてくるほどに印象深い作品なのです。

この本が拡げた世界

この本を読んで、人間誰しもが、心の中に「野望(やぼう)」や「見栄(みえ)をはりたい心」や「誰かに認められたいという想い」、いわゆる「プライド」をもっているものだと気づかされました。プライドをもつこと自体は悪いことではないけれど、それらの心の中の感情をうまくコントロールして上手に付き合っていく必要があるのだと知りました。加えて、何かを成し()げたいという夢を(いだ)いたとき、いかに自分を(みが)き続けることができるかが(かぎ)をにぎっているのだということも学びました。

李朝(りちょう)は自分が「(とら)」となってしまった理由を、

李朝
李朝

()臆病(おくびょう)自尊心(じそんしん)と、尊大(そんだい)羞恥心(しゅうちしん)とのせいである


と語っています。この「臆病(おくびょう)自尊心(じそんしん)尊大(そんだい)羞恥心(しゅうちしん)」というのは少し難しい言い方なのですが、「自分の才能に自信を持ちつつも、結果を残せなかったらどうしよう?という不安と、誰かに夢を笑われてしまうのではないか?という恥ずかしさが常に心の中でうごめいていた」、強気であり弱気でもある李朝(りちょう)複雑(ふくざつ)心模様(こころもよう)を表しているのだとSさんは解釈(かいしゃく)しました。

李朝(りちょう)は「有名な詩人になりたい」という夢に向かって、これまでの安定した仕事を辞めました。それはとても勇気のいる行動で、夢のために一歩を()み出した李朝(りちょう)の行動はすばらしいものだったと思います。ただ、彼は詩を書く才能があると自分を信じつつも、本当は才能がないのではないかという恐怖心(きょうふしん)も同時に(いだ)き、周りと自分を比べたり、出ていない結果に(あせ)ったりするのみで、才能に正面から向き合うことを()け、自身の詩を作る技術(ぎじゅつ)を進んで上達(じょうたつ)させようとはしませんでした。そんな自分自身を心から認めることのできない不安定な精神(せいしん)状態(じょうたい)で再び働き始め、詩を書く夢もあきらめきれない中途半端(ちゅうとはんぱ)状態(じょうたい)で、李朝(りちょう)の心の中の猛獣(もうじゅう)のように(あら)ぶる「自信と不安と恥ずかしさのうごめき」が爆発(ばくはつ)した結果、本当に猛獣(もうじゅう)である「(とら)」になってしまったのだと、Sさんは解釈(かいしゃく)しています。

李朝(りちょう)は、

李朝
李朝

人間は誰でも猛獣(もうじゅう)使いであり、その猛獣(もうじゅう)に当たるのが、各人(かくじん)性情(せいじょう)(生まれつきの性質・気質)だという

とも語っています。この言葉から、李朝(りちょう)のように「高すぎるプライド」によって猛獣(もうじゅう)になる可能性(かのうせい)は誰もが持っているし、自分の性格(せいかく)やものの考え方が知らず知らずのうちに自分の成長を止めてしまうかもしれない危険(きけん)(ふく)んでいるのではないかと考えさせられました。だからこそ、各人(かくじん)が「猛獣(もうじゅう)使い」として、自分の感情をうまくコントロールしていく必要があるのだと気づかされます。

最後に、何かに挑戦(ちょうせん)しようとしてうまくいかずに落ち込んでいる時に思い出す、李朝(りちょう)教訓(きょうくん)めいた言葉を紹介(しょうかい)します。

李朝
李朝

人生は何事(なにごと)をも()さぬにはあまりに長いが、何事(なにごと)かを()すにはあまりに短いなどと口先ばかりの警句(けいく)(ほう)ながら、事実は、才能の不足を暴露(ばくろ)するかもしれないとの卑怯(ひきょう)危惧(きぐ)と、刻苦(こっく)をいとう怠惰(たいだ)とがおれのすべてだったのだ。おれよりもはるかに(とぼ)しい才能でありながら、それを専一(せんいつ)(みが)いたがために、堂々(どうどう)たる詩家(しか)となった者がいくらでもいるのだ。

この言葉は「自分の一生をどのように生きていきたいのか?」とあらためて考えさせるきっかけをくれます。そして同時に、自分が(すぐ)れているとおごることは意味をなさず、「努力(どりょく)継続(けいぞく)によって自分を(みが)き続ける」ことがいかに大切であるかを教えてくれます。「プライド」との上手な付き合い方、「努力(どりょく)継続(けいぞく)(かて)となる」というメッセージが感じられます。

教科との関連

山月記(さんげつき)」を読むと、多くの語彙(ごい)の勉強になります。当時の中国の難関試験(なんかんしけん)である「科挙(かきょ)」に合格して役人という職に()いていた李朝(りちょう)聡明(そうめい)さを感じさせるような口調(くちょう)魅力的(みりょくてき)であり、その口調()特徴(とくちょう)づけているのが、なかなか日常生活(にちじょうせいかつ)で聞くことのない語彙(ごい)の数々です。ここで一部を紹介(しょうかい)します。

李朝
李朝

(おのれ)(たま)にあらざることを恐れるがゆえに、あえて刻苦(こっく)して(みが)こうともせず、また、(おのれ)(たま)なるべきことを(なか)ば信じるがゆえに、碌々(ろくろく)として(かわら)()することもできなかった。おれはしだいに世と離れ、人と遠ざかり、憤悶(ふんもん)慙恚(ざんい)とによってますます(おのれ)の内なる臆病(おくびょう)自尊心(じそんしん)を飼いふとらせる結果になった。

(たま)…優れた才能
刻苦(こっく)…自分自身を苦しめて努力すること
碌々(ろくろく)…平凡で役に立たないさま
()する…肩を並べる
憤悶(ふんもん)…憤り、どうにも我慢できないこと
慙恚(ざんい)…恥じて、憤ること

この一つのセリフを読んだだけでも、こんなにも語彙(ごい)の世界が広がります。難解(なんかい)に思える文章かもしれませんが、ぜひ辞書を片手に読み進めてほしいです。

また、李朝(りちょう)が話すときに、「おれ」と「自分」という一人称(いちにんしょう)の使い分けが行われていることも特徴的(とくちょうてき)です。ぜひ読んで、李朝(りちょう)はどういった時に自分自身を「おれ」「自分」と言い分けているのかと考えてみて、作者中島敦(なかじまあつし)の手の込んだ表現技法も楽しんでみてください。

最後に、詩家(しか)になることを夢みた李朝(りちょう)が作った「漢詩(かんし)」を紹介(しょうかい)しているサイトを()せておきます。実はSさん、漢詩(かんし)にとても興味(きょうみ)があるのです!「漢字で書かれた詩=漢詩」の世界もとても奥深いので、山月記がその興味への入り口になればいいなと願っております。(漢詩に関する記事はいずれどこかで…)

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