言葉でつなぐ、つながっていく③ 文字の持つ不思議ー表記の仕方と文体

虫眼鏡で何かを観察したり探している猫 読み物

さんかくすと文がえます

ゴゴゴゴ!

実は、漫画まんがなどでも、この表記の仕方による演出えんしゅつ頻繁ひんぱんに見られていることだと思います。

 

かすれた太文字で「ゴゴゴゴ」
かすれた太文字で「ゴゴゴゴ」

 

うねる文字で描かれる「ゴゴゴゴ」
うねる文字で描かれる「ゴゴゴゴ」

  

丸っとしてころっとした形の「ゴゴゴゴ」
丸っとしてコロっとした形の「ゴゴゴゴ」

  

同じ、「ゴゴゴゴ」でも、どんな場面を連想れんそうするかは人によって違います。
表現の仕方次第しだいで、読み手の受ける印象を完全に操作そうさすることはできません。

あるのは、作者が「ゴゴゴゴ」に込めた思いだけで、それをどんな「ゴゴゴゴ」と受け止めるかは、読み手の側にまかされます。

あるいは、「ゴゴゴゴ」を読みあげる、その表現の仕方も読みあげる人にたくされるともいえます。

 

ここでの「ゴゴゴゴ」はいわゆる擬態語ぎたいごと言われるものでしょう。
擬態語ぎたいごとは、物事の状態・身ぶりを、それらしく表した語のこと。
 

目覚ましを止めた後に、すやすやと布団の中で眠る女性
むにゃむにゃ?すやすや?ぐーぐー?

 

例えば、気持ちよさそうに眠っている女の子に、何か「擬態語ぎたいご」をつけるとしたら、
 「むにゃむにゃ」(よい夢をみていそうですね!)
 「すやすや…」(おだやかに眠っていそう…)
 「ぐーぐー」(ちょっとやそっとでは目を覚まさなそうですね)

などがありえるでしょう。

…もしかしたら「ゴゴゴゴ」かもしれません。(結構強烈ないびきですね。疲れてるのかな…。)
ゴゴゴゴ」でも、どんな「ゴゴゴゴ」でしょうね…。

 

例で示した「ゴゴゴゴ」は、同じ「ゴゴゴゴ」という擬態語ぎたいごなのですが、どんなフォント(字体)で表現されているか、ということで、印象がことなって読み手に伝わる可能性がある、ということなのです。

しかも、この微妙びみょうな印象の違いは、なかなか言葉では説明できない場合が多い
なぜなら、私がそれぞれの「ゴゴゴゴ」から受ける印象は、みなさんがそれぞれの「ゴゴゴゴ」から受ける印象と同じだとは言えないからです。

 

そして、私たちは「ゴゴゴゴ」という擬態語ぎたいごだけからでは、何が表現されているのかを理解することはできません。
ゴゴゴゴ」がどう表記されているのか、ということからも、何が表現されているのかを理解することはやっぱりできません。
 

擬態語ぎたいごとしての「ゴゴゴゴ」も、表記の工夫のされた「ゴゴゴゴ」も、内容の理解を助けたり、深めるうえで必要で重要な要素ですが、「内容」と組み合わせて用いられることで、初めて「ゴゴゴゴ」は説得力せっとくりょくを持って「ゴゴゴゴ」という擬態語ぎたいごとしての意味、「ゴゴゴゴ」がどう表記されていたかの意味を持つのです

 

日本語という言語の特性

改めて考えてみると、日本語は表記方法が豊富ほうふな言語でもあります。

 

皆さん、こんにちは。いかがお過ごしでしょうか」は、


ミナサン、コンニチハ。イカガ オスゴシデショウカ?」でも表せますし、
(すべてカタカナ)


みなさん、こんにちは。いかがおすごしでしょうか?」でも表せます。
(すべてひらがな)

あまり見慣みなれませんが、
MINASAN, KONNICHIHA. IKAGA OSUGOSIDESYO-KA?」とも言い表せるのです。
(ローマ字)

 

文章の書き手や著者は、たくみに表記の方法を工夫しながら、作品のねらいや意図いとを伝えようとしている、のかもしれないのです。

こうした表現・表記の工夫、文体の工夫は、文学作品にのみ見られるわけではありません。

 

精確せいかく概念がいねんを伝えようとするときにも、この記載きさいへのこだわりが意味を持ちます

 
ある概念がいねんは、カタカナではなく英語表記される必要があったり、
漢字かな交じりではなく、ひらがなで書かれる必要があったりすることがあるのです。

そうしなければ、「概念がいねん」として精確せいかくに読み手に伝わらない、と考えるためです。

 

M先生
M先生

実はM先生が、
正確(正しいに確認の確)」ではなく
精確せいかく精密せいみつの精に確認の確)」と書くのも、こだわりがあるからです。

 

また、私たちが何気なにげなく使う「句読点くとうてん」やカギカッコにも、意味がふくまれることがあります。


カッコにもいろいろな種類があります。
よく使われるのは「 」ですが、


『 』< >( )【 】[ ]《 》{ }など

様々な種類があり、緻密ちみつに使い分けられていたりするのです。

 

こうした表現や表記の工夫は、私たちが何かを表現しようとするときに使える工夫の一つでしょう。


また、同時に書かれた文章を読みいていく手掛てがかりにすることができるものでもあります。


少なくとも、こうした工夫をすることができる、ということを知るだけで、
私たちがこれから読み進めていく文章との出会いを、新鮮しんせんな目線で楽しむことができるのではないでしょうか。
どんな伝え方の工夫ができるのか、自分なりの試行錯誤しこうさくごはばが広がるのではないか、とも思うのです。

 

M先生
M先生

少年少女用の本は、えて漢字ではなくひらがな表記になっているものもあります。
内容そのものはもちろん変わらず楽しむことができるはずです。


文章が漢字で表記されているのか・ひらがなで表記されているのか、がどこまで、著者の意図いとや思いと関連するのかは、著者のみが知ることです。

M先生は、最近、点字や手話も対象にふくめて、こうした表記の仕方の違いによって受ける印象や理解の差に注目しています。また、みなさんと一緒いっしょに考える機会を持てたらうれしいです!(コメントももしあれば、お待ちしています!)

 

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