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さて、次は、個性を表す文章表現として、語尾を含めた文章表現にも注目してみたいなと思います。
人称代名詞にいろいろな表現がある、ということを見てきました。
それぞれ、どういうキャラクターが名乗っているのか、暗黙的に想像することができる、という話をしましたが、語尾がどんなふうになっているか、ということからもいろいろイメージを持って読み取ることができそうです。

わしも、よく考えたら自然とこういう口調になっておったなあ。不思議なものじゃ。
例えば、「不思議なものじゃ」という表現も、
一人称代名詞が「わし」だからこそ、合っているとは思いませんか?
いわゆる博士という人物像にマッチしています。

そうじゃのう。
たしかに私がそういう言葉遣いをするとおかしな感じや「わざとらしさ」があるかもしれんのう。
キャラクターの中にもとても印象的な言葉遣いをする人たちもいますよね。
それがその味わいを深めています。
ある話し方を聞くと、それを話している人の人物像が頭に思い浮かべられるとき、あるいは、ある人物像を示されると、その人が話しそうな話し方が思い浮かべられるとき、その話し方のことを「役割語」と呼んだりすることもあるようです。
例えば、その人が男性なのか女性なのか、ということも表現することができたりします。

例えば‥‥。
「もう8月も終わるな。どうだい?君は充実した時間をきっと過ごしていたんだろ?」
「ほんとうね、もう8月もあと5日を切ってしまっただなんて…。もっと夏を満喫したかった、というのが本音だけど、贅沢はダメね。楽しく過ごせたわ。」
などの会話があったとすると、
不思議なことにどちらが男性のセリフで、どちらが女性のセリフか、なんとなく想像がついてしまうのですよね。
しかも、話している内容は大したことないのに、子供らしからぬ口調ですよね。
でも、ちょっとオトナな雰囲気の男女の会話、というのは、
完全に読み手が勝手に描くイメージであって、果たして実際にそうなのかどうかはわからないのです。
”そのように思える”だけで、あなたが、まったく異なった印象を抱いても、それが「間違い」とは言い切れません。
でも、一般的には、男性のセリフが先にあって、それに応じているセリフが女性の発言、と捉えるのが自然です。
そして、こうした「男ことば」や「女ことば」といったニュアンスが出てくるのは日本語ならでは、の特徴といえそうです。

そうにゃのかー。なんだか奥が深いんだにゃー。
ちょっとした言葉の使い方で、話し手の個性を伝えられるにゃんて、にゃかにゃかおもしろいものだにゃー。
最後に、『風が吹いたり、花が散ったり』という小説の中からの一節をご紹介します。
人称代名詞や役割語にも注目しつつ、読んでみてくださいね。
「亮磨君、来てくれてありがとう!」さちは、にこやかな笑みで亮磨の前に立った。「こちらは廉二君っていって、もともとこの人に伴走をやってもらってるの」
「ちわっ」と、廉二と呼ばれた男が不愛想に会釈する。会釈というよりは、ただ首を突き出しただけのようにも見えた。
さちと二人きりだと思いこんでいた。亮磨の落胆ははかり知れなかった。よくよく考えてみれば、目が見えない若い女性が、素性の知れない男といきなりいっしょに走るなんてありえない話だ。廉二がいるからこそ、さちは安心して自分を誘えたのだろうと思った。
「こちらは、さっき話した亮磨君」と、さちがとなりの廉二に紹介する。
「ちわっ」と、亮磨もぎこちなく頭を下げた。
廉二はジーパンのポケットに両手を突っ込んで、亮磨の全身を検分するように、じろじろと眺めまわしている。刺すような視線に耐え切れず、亮磨がかるくうつむいていると、「わかんないんだよなぁ」というつぶやきが、突然頭上から降ってきた。
「君はさ、駅でさちを助けただけの人なんだよね?」
そう聞かれた亮磨は、「まあ……」と、うなずいた。後ろ暗い気持ちは、表情に出ないように押し隠した。
「いやいや、ふつう、ありえないよね?初対面の人に、いっしょに走りましょうって言われて、はい、よろこんでって、二つ返事で受け入れちゃうなんて」
「いや、まあ、二つ返事ではなかったんですけど」
「でも、来てんじゃん、実際」
「ま……まあ」ふたたび、曖昧にうなずく。常識的に考えれば、たしかにこの人のいうとおりだ。なんの反論も思い浮かばない。さちを倒し、それをひた隠しにした罪悪感から引き受けたなんて、まさか言えるはずがない。
「さちも、さちだよ」と、今度はその矛先がさちに向かった。「たしかに、俺はなんとしてももう一人伴走者が必要だねって話はしたよ。でもね、まったくの素人を連れてこいなんて、誰も言ってないからな。駅で介助を申し出た見知らぬ人間にたのむなんて、はっきり言ってクレイジーだよ。ありえないって、マジで」
「いいじゃん、いっしょに楽しく走れれば」さちが、肩をすくめた。「亮磨君、すごい良い人なんだよ」
「ばんそう」と言っていましたが、ピアノの伴奏ではない、ということはわかっていただけたでしょうか。
「走る」話をしていましたよね。
この小説は、朝倉宏景さんの小説で、視覚障害のある女性ランナーの伴走者として未経験のマラソンに挑む19歳・フリーターが主人公の物語です。
文章中から何となく察してくださった方もいるかもしれませんが、ちょっと主人公の亮磨は秘密を抱えているんですよね。
それはいったいどんな秘密なのか、‥‥もしよかったらぜひ読んでみてくださいね。
読んでいただいた文章の中には、登場人物は3人出て来ます。
主人公の亮磨と、サチさん、廉二さん。
なんとなくキャラクターの雰囲気感じていただけたりしたでしょうか。
誰が発した言葉か明記されていなくても、読み手はだれのセリフかなんとなく理解しながら読んでいます。それも文体―今日見たところの役割語が持つ機能ゆえともいえるかもしれません。
そして、実は文体だけではなく、さまざまな描写で登場人物の雰囲気や個性、感情の動きなどが表現されていたりしますね。
言葉で説明してしまうと、なんだか野暮なのですが、
そういうものの組み合わせ、総体で自分の好きな文章や心に響く物語というものは出てくるのではないかなあと思います。
今、ブックレビューリレーも実施していますが、これからの季節は読書の秋!
ぜひこちらもみてみてくださいね。

今回の記事は、前回の記事を読んで「日本語ってなかなか翻訳では表しきれない繊細さがありますよね」というコメントをくださった方がいて、しみじみ考えさせられて書いてみました。
本当に面白いですよね。今回の記事では示しきれなかったこともたくさんあると思いますが、これからもいろいろと皆さんと一緒に考えていけるといいなあと思います。