第8回『クラバート』( Mせんせい)

さんかくすと文がえます

本日の紹介者

M先生
M先生

他の学びのナビゲーターのみなさんの記事を読みながら、「また、本の紹介書いてみたい~」という欲求から逃れられず、二回目のレビューとなってしまいました。
「また~??」なんて思わずに、どうぞお付き合いくださるとうれしいです。

 

 

今回ご紹介しょうかいしたいな、と思う小説もまた、なかなか普通ふつうに暮らしていたら経験けいけんできないような世界観せかいかんえがかれていますよ。でも、どんどん物語の世界に引き込まれていってしまう…そんな物語です。

  

クラバート

著者ちょしゃ:オトフリート=プロイスラー (Otfried Preußler)

翻訳者ほんやくしゃ:中村 浩三

サピエ 点字てんじデータ:あり サピエ デイジーデータ:あり

出版社しゅっぱんしゃ:偕成社

出版年しゅっぱんねん:1980年

ISBNコード:978-4037261108

 概要

著者ちょしゃオトフリート・プロイスラーさんは、1923年ボヘミア地方に生まれます。
第二次大戦後だいにじたいせんごドイツ南部に移り、小学校教師・校長を務めた方で、他の代表作に《大どろぼうホッツェンプロッツ》シリーズなどがあります。

 

M先生
M先生

ボヘミア地方とはどのあたりのことなのでしょうか‥‥?

  

  

M先生
M先生

上のgoogleマップが示すのはヨーロッパ。

ヨーロッパ地方のほぼ真ん中に赤い目印を立てていますが、実はここがプロイスラーさんの生まれ育った町、現在の「チェコ」北西部、リベレツという町です。


チェコはドイツとポーランドにはさまれた内陸国ないりくこく
今回のお話の舞台ぶたいもやっぱりこのあたりです。

ただし、時代設定じだいせっていは現代ではなく、中世ちゅうせいの時代のドイツ地方が舞台ぶたいのお話です。

 

主人公の名前はクラバート
仲間とともに浮浪ふろう生活を送る日々、ある日不思議ふしぎな夢を見ます。

夢の中で、
シュヴァルツコルムの水車場すいしゃばに来い。お前のそんにはならぬだろう!
と声をけられるのです。

何度も何度も同じ夢を見て、シュヴァルツコルムの水車場すいしゃばさがし当てたクラバート。
そこで、見習みならいとしてはたらき始めます。

が、その水車場すいしゃばはとても不思議ふしぎな場所で他の職人しょくにん親方おやかたには何かしらの秘密ひみつがあるらしい‥‥

 


実は、水車場すいしゃば親方おやかた魔法使まほうつかい!
クラバートは一人前いちにんまえになったとみとめられたあと、魔法使まほうつかいの親方おやかた師匠ししょう魔法まほうを少しずつ学んでいきます。

 

M先生
M先生

でもでも!、この魔法まほう学校というのが、まったく明るい楽しい雰囲気ふんいきが全くないんです!

どちらかというと、ダークな雰囲気ふんいき。K原さんが紹介しょうかいしていた『ハリーポッター』で言ったら、スネイプ先生が教えるやみ魔術まじゅつを習っているような感じなのです。

ここの親方おやかたがなんともあやしいやつなんですよ!!!

 
水車場すいしゃばの暮らしと目くるめく季節の中で、いくつかの衝撃的しょうげきてきな事件が起こり……。
最後に、クラバートはあるたたかいにいどみます。

私は、このクラバートがたたかう目的、みたいなことに心打こころうたれてしまうのです。
「そうだな、私もクラバートが守りたかったようなもののために、いざというとき、たたかわなくてはならないよな」と少女ながら思ったわけです。

クラバートはカッコいいといえばカッコいいのですが、いわゆるヒーローを体現たいげんするような人物ではない、と私は思います。
まるで、読者である私たちと同じようななやみや葛藤かっとうを持って生きている、そんな主人公なのです。
だから、暗くて地味じみ~な感じのお話しなのですが、かれてしまうんだと思います。

 

お伝えしているように、この物語では、淡々たんたん水車場すいしゃばらしがえがかれ、そして派手はで魔法まほう登場とうじょうしません。かっこいい魔法まほうもほぼ出てきません。
「何この親方おやかた‥‥ちょうこわいじゃん…」と思うと思います。
でも、ダークな雰囲気ふんいきから目をはなせなくなるんです。不思議ふしぎなのです。なぜなんだろう?
でもだから、皆さんにも、このダークさを、ちょっと体感たいかんしていただきたい

本について

クラバート 偕成社かいせいしゃ

いくつかしょう受賞じゅしょうしてもいるようですが、そういうのきにしても面白おもしろい作品だと思います。
前回、M先生が紹介しょうかいさせていただいたブックレビューの本も、実は偕成社かいせいしゃから出版しゅっぱんされた本だったんですね。
偕成社かいせいしゃは、子どもの本を専門せんもんとする出版社しゅっぱんしゃなのだそうです。
出版社しゅっぱんしゃによってもカラーがあったりするものなのですよね。そういったことも読書どくしょをしていて気づく面白おもしろいポイントであったりしますね。

本との出会い

実は、どんなえんがあってか、たまたま『クラバート』が自宅じたくにありました。
なのですが、最初はまった興味きょうみがわかず、放置ほうちされていた本の一冊いっさつだったのです。

理由は、表紙の絵が暗い雰囲気ふんいきで、かわいくないし、綺麗きれいじゃないし、ちっとも魅力的みりょくてきじゃなかったから。

クラバートの上下巻、2冊の写真。
表紙には版画のような絵が描かれる。鳥が描かれているのだが、顔は帽子をかぶった人間。
若かりしM先生的には、「微妙びみょう…」だった表紙の絵。地味じみだし暗いし、なんかこわい。


 
でも、当時とうじのM先生は、ひまだったんですね。
私の子供時代こどもじだいにももちろんゲームはありましたし、テレビもありましたが、いろいろな事情じじょうもあって、一日の大半たいはんを過ごすのはテレビのない部屋でした。
年齢ねんれいがばれますが、当時とうじ持っていたゲームは、ゲームボーイポケット。(よくポケモンで遊んでいました。)
それ以外のゲームはテレビに接続せつぞくしないとプレイできません。
スマホはおろか携帯電話けいたいでんわももちろん持っていませんでした。

なので、とてもひまだったのです。
友達にさそってもらって外で遊ぶことはもちろんありましたが、一人でガンガン外へ出て探検たんけんに行くタイプではなかったので、ひまで、とりあえず本を読んでいました。

ずかしながら、よく考えたらほとんど「ひまだったから」という理由で結構けっこう本を読んでいたのだと思います。
もちろん、「なかなか面白い本もあるじゃん」とあじをしめたきっかけもあったから、ひまなとき、本に手をばすようになったのだとも思います。
ひまさえあれば手あたり次第しだいに本(マンガ含む)を読むようになった、ともいうことでもあるかもしれませんが)

 

M先生
M先生

不思議ふしぎなことに、本を読んでガッカリする、期待きたい裏切うらぎられたと感じたことは、なかったような気がします。

 
一冊一冊に泣いたり怒ったり笑ったりしながら読んでいたような気がします。
今まで生きてきて一番本を読んでいたのは、子ども時代だった気がします。

 

さて、そんなこんなで「えない絵だなー」と思いながら読んだ『クラバート』。

そうしたら、まんまと世界観せかいかんに引き込まれてはまってしまった、というわけです。
びっくりしました。

『クラバート』を読んだのは、小学校高学年のころだったと思います。
いわゆる「児童文学じどうぶんがく」という感じがしない本で、
「うわ~…過酷かこく…」
「こわい…」
と思うところが多くて、結構けっこうカルチャーショックでもあり、強烈きょうれつ印象いんしょうを残しました。


でもただのこわい本じゃないんです。

とてもはげまされるような本でした。
り返ると、何と向き合って、何とたたかっていくのか―ということについて、主人公・クラバートの姿やざまを通じて考えさせられ、「そういうのって大事だよね」と思わさせられたのだと思います。

「この本は大切な本」とインプットされ、大人になった今、部屋の本棚ほんだなおさまっていて、今回り出してきた、というわけです。
(読み直して、あらためてグッときました。)

  

M先生
M先生

最終的に「微妙びみょう…」と感じていた『クラバート』の絵は、大人になった今、「結構けっこう、好き…!」となりました。
挿絵さしえいたのは、ヘルベルト=ホルツィング さんです。

  

この本が拡げた世界

舞台ぶたいとなる地域ちいきも、時代じだいも私たちとはことなる設定せっていのこの作品。
私たちと主人公との間に何か共通するものはあるのだろうか?というと、「学校に通っている」ということがげられるように思います。

クラバートの場合は、普通ふつうの学校ではなくて、魔法まほうの使い方を学ぶ魔法学校まほうがっこうなわけですが。
(いわゆる「学校」とは全くことなる種類しゅるいの学校でもある気がしますが…)

M先生はすっかり大人になってしまったので、皆さんがどんなふうにこの物語を読まれるのか分からないのですが、あらためて読み直してはっきりと感じたことがあります。

 

M先生
M先生

『クラバート』という作品は、「学ぶ」ということの意味を教えてくれる物語でもある。

  

主人公・クラバートは一生懸命いっしょうけんめい魔法まほうを学びます。
クラバートは、なぜあんなに一生懸命魔法いっしょうけんめいまほうを学ぼうとしたのか
もしよかったら、そういう疑問ぎもんを持ってぜひ読んでほしい、と思います。

何のために勉強しなくちゃいけないの?」と感じている人は結構けっこういるんじゃないかな?と思うのです。
大人になってしまったM先生は、『クラバート』を読み直して、「なるほど、そういうことだったのか」と思いました。

子ども時代に読んだときはそんなふうには感じなかったので、大人目線めせんで感じているだけかもしれない。
全然そんなふうには感じなかった、と思う読者どくしゃの方もいるかもしれません。

でも、私自身はあらためて「そんなふうに学びたい」と感じることができたのです。
なので、みなさんにも、ぜひそのことを伝えたくて、今回のレビューを書きました。

教科との関連

さきほどから「暗い」、「地味じみ」、「暗い」と言いたい放題ほうだいのM先生ですが、そういう雰囲気ふんいき中世ちゅうせいヨーロッパそのものであるように感じます。

さらっと書いてしまいましたが、主人公のクラバートは物語の冒頭ぼうとうでは浮浪児ふろうじをしていたのです。
今でいう「ストリートチルドレン」にイメージとしては近いでしょう。
とにかくひもじかった。

 

M先生
M先生

いったいどんなものを食べてたのかしら??
ということで調べてみましたよ!
自分でももしかしたら作れるものがあるかも!?

 

 

 

そんな浮浪児ふろうじをやっていた主人公・クラバートがたどり着くのは水車場すいしゃば
水車場すいしゃばって?」と思う人も多いのではないでしょうか?

 

連なる水車の写真。4機ほどの水車が川沿いに並ぶ。水車の沖差は直径で4、5メートルほどに及ぶのではないだろうか。

 

水車は、景観けいかんをよくするためのかざりとか、そういうものではないのです。
水車は、水のエネルギーを機械的きかいてきエネルギーに変える回転機械かいてんきかいです。

人類じんるい開発かいはつした最も古い原動機げんどうきと呼ばれるこの機械きかい
この機械きかいを使って、小麦の製粉せいふんに取り組むのです。
日本にも水車のある風景ふうけいが見られる地域もありますね。

 

水車の動き(水の流れを利用して水車を動かし、水車が回転する動きを利用して脱穀だっこく製粉せいふんが行われます)

 

今でこそ、水車小屋のある風景ふうけい観光かんこうスポットになっていることも多いようですが、当時の水車場すいしゃばのイメージは決してよいものではなかったともいいます。

実は、中世ちゅうせいの歴史を研究する研究家として有名な人物に阿部謹也あべきんやさんという先生がいます。
ヨーロッパの中世ちゅうせいの歴史に関する本を多く書いた方ですが、
阿部先生は、なぜ水車場すいしゃばのイメージがよくなかったのか、
水車場すいしゃばはたらく人たちははぐれ者あつかいをされていたのか、ということを『中世ちゅうせいを旅する人々』などの著作ちょさくの中で説明しています。
※ 以下も『中世ちゅうせいを旅する人々』(ちくま学芸文庫がくげいぶんこ, 2008年)の著作ちょさくにもうけられた「こなひき・水車小屋すいしゃごや」という章(122~138頁)の内容をご紹介しょうかいさせていただいています。

 

まず、水車小屋の設置せっちは、すべて領主りょうしゅによって実施じっしされていたといいます。
水車とは、なかなかに大きな装置そうちです。水車小屋の建設けんせつ維持いじには莫大ばくだい費用ひようがかかりました。
つまり、そもそも農民たちが水車場すいしゃば設置せっちすることは不可能ふかのうだったのです。

領主りょうしゅは水車の技術ぎじゅつつうじた者を水車小屋に住まわせ、農民から製粉料せいふんりょうを取りたてさせました
これがこなひき屋―つまり、水車場すいしゃばはたらく人たちのことです。

こなひき屋は共同体きょうどうたい(町や村)に元々らしていた者ではなく、領主りょうしゅ任命にんめいした部外者ぶがいしゃでした。
農民は麦を水車小屋でたびに、こなひき屋に製粉料せいふんりょうとして粉の一部を徴収ちょうしゅうされます
こなひき屋に製粉せいふんしてもらわなくても、自分たちでもなんとかなったのでは?と思う方もいらっしゃるでしょう…。
なんと、農民たち領主りょうしゅによって水車の使用を強制きょうせいされていたのでした…!
製粉せいふんしてもらわないと、パンを作れないので、小麦をいてもらう必要は絶対にありました。
農民からするとまった面白おもしろくないわけです。「製粉料せいふんりょうをごまかしているのでは??」などとうたがってみるなど、こなひき屋と農民の関係はよいといえるものではなかったのです。

 

  

 

そして、そもそも水車場すいしゃばはどんなところに設置せっちされていたのか、ということも、中世ちゅうせいらす人たちがこなひき屋から距離きょりをおく理由と関連していたといいます。

水車場すいしゃばはどちらかというと村からはなれた場所…森の入り口などに設置せっちされていました
現代に生きる皆さんにはなかなか想像そうぞうしがたいことがあるのかもしれませんが、森とは未知みち空間くうかんそのものだったのです。神々や精霊せいれい悪霊あくりょうが住んでいるような場所、というイメージです。
「ヘンゼルとグレーテル」というお話を知っている人は多いと思いますが、あの話も森の中で迷子まいごになった兄妹きょうだいが森の奥深おくふかく、お菓子かしの家に住む魔女まじょに食べられそうになる話です。

こなひき屋は共同体きょうどうたいからはなれて森にらしているため、「あちら側の人間」であると思われることがあったのです。
つまり、こなひき屋は領主りょうしゅの仲間であるばかりか、悪魔あくまの仲間であると考えられることがあったということです。
 

 

 

 

M先生
M先生

『クラバート』を実際じっさいに読んでみると、この説明はより説得力せっとくりょくすと思います。

 

以下は『クラバート』の下巻げかんのあとがきのなかに書かれている、物語が生まれる背景はいけいです。少しだけご紹介しょうかいしましょう。

  

 いわゆる<クラバート伝説でんせつ>を作者が初めて知ったのは、作者がまだ十一、二歳の少年のころだったということです。当時ライヒェンベルクに住んでいた父親の蔵書ぞうしょのなかに、十三巻の『ドイツ伝説でんせつ集』という全集本があり、そのうちの『ラウジッツ地方の伝説でんせつ』という一巻に少年の目がとまったのが、クラバートとの出会いのきっかけになったのでした。

 中略

 いまでも東ドイツのラウジッツ地方のバウツェンやコトブスの町の近くには、ヴェンド人の村落そんらく点在てんざいしています。早くからキリスト教化がおこなわれたにもかかわらず、在来ざいらい異教いきょう信仰しんこう風習ふうしゅうくとどめ、口頭こうとう伝承でんしょうされた多くの民話を有し、魔女まじょ魔法使まほうつかいの伝説でんせつ豊富ほうふに残っているのです。
 さて、少年オトフリートが読んだこの『ラウジッツ地方の伝説でんせつ』のなかに、ヴェンド人のクラバートの伝説でんせつがドイツ語に訳しておさめられていたのでした。

 

M先生
M先生

作者のプロイスラーさんが、少年時代に出会った<クラバート伝説でんせつ>。
大人になってからあらためて、この<クラバート伝説でんせつ>に再会さいかいします。

大人になってから再会さいかいした<クラバート伝説でんせつ>は、チェコ語に翻訳ほんやくされ、少年時代に読んだものよりもさらに長い物語でした。

 

こうしてクラバート伝説でんせつ感化かんかされたプロイスラーさんは、自分の<クラバート物語>を書きたい!奮起ふんき

 

まりもしつつ、クラバート伝説でんせつを書くことをあきらめきれず、かなり綿密めんみつに調査をしたそうです。

 

 プロイスラー氏は、一度手をつけた『クラバート』をどうしても手離てばなすことはできませんでした。ふたたび新しい構想こうそうのもとに書きあらためることを決意けついし、資料しりょう収集しゅうしゅうにあたりました。そのために東・西両ドイツの友人たちの助けもかりました。

 クラバートの時代、つまり十七世紀から十八世紀の初めにかけてのヨーロッパの歴史的背景れきしてきはいけい、ザクセン選帝侯国せんていこうこくのラウジッツ地方に住んでいたヴェンド人の風習ふうしゅう、そのころの水車場すいしゃば状態じょうたい、水車の構造こうぞう職人しょくにんの生活、古くからつたわる魔法まほうの話などを徹底的てっていてきにしらべたのです。

 

つまり、この『クラバート』という物語は、地域の伝説でんせつをベースにしながら、歴史的事実れきしてきじじつまえてみなおされた物語ともいえます。
「暗くて、地味」な世界観せかいかん相当そうとうリアルなのも、こういった背景はいけいがあるからなのかもしれません。

ベースになった<クラバート伝説でんせつ>は、さまざまに語りがれてきた物語(民話みんわ伝説でんせつ)であった、ということも興味深きょうみぶかいですね。

 

本当に、あらためてよい本だなあとしみじみ思います。
もしよかったら、ぜひ手に取ってみてくださいね。
スタジオジブリの『せん千尋ちひろ神隠かみかくし』も『クラバート』の影響えいきょうを受けていた、ということだそうです。読んでみると「確かに」と納得なっとくできるシーンが出て来ます。

 

おまけ

日本にも昔話・伝説・民話はあるよ

『クラバート』の生まれる背景はいけいには、プロイスラーさんが少年時代に出会った昔話、伝説でんせつがあった、ということですが、日本にも多くの伝説でんせつがありますね。

皆さんが住む地域にも、必ず伝説でんせつや昔話があるはずです。
地域の公立図書館で、収集しゅうしゅうされた伝説でんせつや物語が保管ほかんされていることが多いです。
最近はインターネット上でも参照さんしょうできるものもあるようです。

皆さんがらす地域にある山や川、自然を題材だいざいにした伝説でんせつや物語もあるかもしれません。
私自身も、印象いんしょうに残っている地元の昔話「赤城のへっぷり鬼」があったりするんですよ。

 

 

また、伝説でんせつや昔話とは、郷土史研究きょうどしけんきゅう民俗学みんぞくがくとも近い領域りょういきにあるといえます。
さまざまな伝説でんせつや昔話を収集しゅうしゅうしたことで有名なのは柳田国男やなぎだくにおさんの遠野物語とおのものがたりなどがありますね。
(『遠野物語』は青空文庫でも読むことができます。)

 

 

そのほかにも、以前おばけの記事で紹介した小泉八雲こいずみやくもさんなども、「こわい話」に特化とっかして民話や伝説でんせつ収集しゅうしゅうしたことで知られていますね。
小泉八雲こいずみやくもさんの作品も、青空文庫で読むことができます。)

 

  

ヨーロッパの伝説といえば…

プロイスラーさんが出会った物語以外にも、私たちがよく知っている物語も、実は民話や伝説でんせつ由来ゆらいしている、というものがありますよね。

 

グリム兄弟きょうだい収集しゅうしゅうしてまとめたグリム童話どうわ、シャルル・ペローのペロー童話集どうわしゅう…などなど。
知っている代表的な作品もあると思いますが、他にグリム兄弟やシャルル・ペローがどんな伝説でんせつ収集しゅうしゅうしたのか、ぜひ、見つけてみるのも楽しいのではないかな、と思います。

 

 

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